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国際金融アナリストの大井幸子が、金融・経済情報の配信、ヘッジファンド投資手法の解説をしていきます。

超長期のトレンド:今後の国際情勢と安全保障について 「戦争とお金」の観点から日本の真の独立を考察する 1/2回

 

8月といえば終戦記念日。戦争の話題が多く取り上げられます。そして戦後69年を迎える日本は今、政治体制・経済体制の変化という大きな転換点を迎えようとしています。

国家と国家の間の約束事は、時に、数十年、百年近くの時間をかけることがあります。外交、国際関係の基本は利害調整です。仲良くすることは戦争することよりも難しいです。国家間の仲違いは、悪くすると実力行使、戦争に発展します。

平和時に関係を築いた貿易や投資は武器と暴力の応酬に代わります。領土を拡張し利権を獲得するためには武器を購入して戦わなければならず、武器調達、銃後の 食料や燃料、ロジスティックスも含めて戦いにはお金がかかります。さらに、戦争終結後には、賠償金というお金がかかります。

こうした戦後から続いている日本の状況が今変わろうとしています。

政治体制が変わると、お金の価値がひっくり返ります。自分達がお金と戦争の歴史の中に生きていることを自覚することで、普段は遠くに感じられるニュースの本当の意味が理解できるようになります。また、自分達の資産を守るためにどうするべきかが明確になります。

そこで今回のツワモノ対談では片桐勇治さんをゲストにお招きいたしました。片桐さんは、安全保障・外交の専門家です。さらに、日本の政治の現場にも身を置かれて実践を積まれています。片桐さんとの対談を2回に分けてお届けします。

《片桐勇治さんのプロフィール》●片桐 勇治(かたぎり ゆうじ)●政治評論家 国際政治アナリスト 1967年生まれ。東京都出身。中央大学法学部政治学科卒。高校がミッションスクールの聖学院高校であったため、高校・大学時代は聖書研究に没頭。同じく高校時代に糸川英夫博士の『日本はこうなる』に出会い、それ以来、糸川氏に心酔、その関係でユダヤ教を研究。

大学時代は、P・F・ドラッカー研究と反ファシズム・反軍国主義の観点で研究を行う。さらに1988年米国大統領選挙戦の米国共和党大会を見たり、米国をバスで縦断・横断したりした。大学在学中から元航空自衛隊幹部の参議院議員田村秀昭事務所で秘書となり、爾来、元防衛庁出身の鈴木正孝衆議院議員、元防衛大臣の愛知和男衆議院議員の秘書となり、一貫して政界の防衛畑を歩む。1998年から2005年までインターネット関連事業を立ち上げ従事する。

2005年、国民新党に入り、選挙対策本部事務局次長、広報部長を歴任。2010年より保守系論壇で政治評論を行い、CS保守系チャンネルのチャンネル桜での出演は60回以上を数える。バランスと本質を重視した保守論評、政治評論を心がけ、リベラリズムを重視する保守系左派に位置づけられる。マクロ経済、外交・安保、選挙、政局、コンピュータ関連などを主な評論テーマとする。子供の頃、山岳信仰で木曽御嶽山に毎年登り、宗教は神道・古神道。

 

 「日本人が日本人として生きられなくなる危うさ」について

 

「国際化」とコップの中の嵐

大井: 『別冊 正論』19号に書かれた論文「それでも私がTPPに反対する理由:日本人が日本人として生きられなくなる危うさ」のなかで、片桐さんは、2013年4月27日に戦後と占領が本当の意味で、終了したと言われます。衝撃的な内容です。しかし、私は、長い間隠されて来た真実がやっと開明されたと思いました。そして、「日本人が日本人として生き残れなくなる危うさ」を私も共感しています。※『別冊 正論』(19号 産経新聞社 2013年4月17日発行)

それから、今の日本の状況について、「全体性への想像力の欠如」と評されていますが、私もそう感じています。コップ中の嵐ばかりに気を取られ、コップの縁に立って外界を見回し、それからコップの内側をみなければなりませんね。

 

片桐: そうです。大井さんも私も海外で長く暮らした経験がありますから、外から見る日本は、日本の中にいるのとは異なる切り口で見えてきますね。状況や情勢を的確に把握するためにそういう謂わばアウトサイダーの眼を二人とも意識的に持つように訓練してきたと思います。コップの縁にたって外界を見回し、同時に客観的にコップの内側を見る眼です。

 

大井: 正にそのとおりですね。

 

片桐: 同時にコップの内側で実生活は生きるわけですから、人々と関係をしっかりと持つという意味でも、インサイダーの眼もしっかりとあるわけです。

しかし、さらに重要なポイントがあると思います。それは、そのコップそのものとは何かということを考える眼です。日本だけでなく世界には色々な形と大きさのコップがあるわけで、そのコップとは何かと考える視点ですね。このような様々な視点で概観して考えるのが全体性への想像力ということです。一言で言えば、マクロの視点です。

 

大井: おっしゃるとおりですね。日本においてはとかくインサイダーの視点のみで考えられる傾向に陥って、外界との乖離や自らの成り立ちを忘れてしまうということがあります。そして、その内向きな視点が行き過ぎてしまってかえってインサイドの事情を狂わしていくということではないでしょうか。

 

片桐: 正に、極めて重要なポイントをご指摘になりましたね。一見、このような議論はもっと国際性を日本は身につけようという陳腐な議論に陥るように思われるかもしれませんが、そうではないのですね。日本における国際化という言葉は、アイデンティティを捨てて国際社会と同化しようということだと思うのですが、それは正にインサイドしか知らない思考だと思うのです。

もしくは内実不鮮明な国際社会なるものに同化せよというプロパガンダかもしれません。いずれにせよ、その内向き思考の国際化の考えには実はボーダーがなく、単なる内なる思い込みの発露でしかないわけです。その心理は一方では世界が日本化されることを闇雲に望む深層心理という面を持っています。昨今のテレビを見ていると、そういう番組が非常に多いですよね。

今、必要とされるのは客観的な視点、コップの縁に立って内外を考えるということが求められているわけで、それこそが国際化だと考えています。この20年を見ても、日本は国際化を非常に進めてきましたが、逆説的に日本は国際的な影響力を失っています。このようなパラドックスが起きるのは、正に内向き思考の国際化、即ちアイデンティティを捨て同化することを進めるからです。それでは、自らの強みを見出すことはできず、力も発揮できません。そして、当然の帰結として、国際社会で認められることもありません。

私の『別冊 正論』での論文は、このようなコップの縁に立つ視点で内外情勢と歴史を見つめ、コップとはそもそも何かを考え、国際社会のリアリティを踏まえて行き着いた結論です。簡単に要約しますと、日本は1945年の敗戦後68年目、1952年主権回復後61年目で、はじめて独立をしたというものです。そして、TPPもこの「61年目の独立」という脈略で捉えなくてはその本質はわからないということです。

 

日本の戦後の主権について

大井: 日本は無条件降伏し、1951年のサンフランシスコ講和条約をもって、独立した国として戦後の再出発をしたのではなかったのですか?

 

片桐: この話、唐突ですよね。自分でもそう思います(笑)。1945年8月15日にポツダム宣言を受け入れることを宣言し、9月2日に日本は無条件降伏にサインをしました。その後、1951年のサンフランシスコ講和条約にサインし、施行される翌年の4月27日までの占領期間は、日本には主権は存在しませんでした。

主権がないということは、自衛する権利も、電波を勝手に使う権利も、飛行機も飛ばす自由もないということですが、その他、様々な権利と自由が日本国民には存在せず、米国を筆頭とする連合国側にそれがあったということです。戦争を知らない我々には想像が難しい状態ですが、それが占領というものです。

その後、サンフランシスコ講和条約締結によって、日本は国際社会に復帰し、主権が回復され、独立国として認めれました。よって、独立国が保持することを認められている様々な権利・自由は、日本国と日本国民が有するのが、国際法上当然の帰結になるわけです。

しかし、実は実際にはそうではなかったという証言を1971年、小日向白朗という方が雑誌上で述べているわけです(『富士ジャーナル』一九七一年七月号「台湾解決でアメリカに招かれた元馬賊王」)。小日向氏について簡単に言うと、戦前、中国で馬賊の総頭目になった傑人で、戦後は池田内閣のアドバイザー、そして1970年代の米中接近や沖縄返還では大きな役割を果たした、正に国際政治の裏表を熟知していた方です。

小日向氏は、誌上で、戦後日本は、焼け野原から再出発する資金が全くなく、その援助資金30億ドル、現在価値にして30兆円の資金援助を当時の吉田首相は米国に打診していまししたが、その資金の代わりなのか、日本は国防権、電波権、航空(管制)権を差し出した特別覚書・密約にサンフランシスコ講和条約調印と同時にサインしたと述べています。因みにこのお金は、米国ではなく金融財閥のサッスーンが出したと小日向氏は述べています。米国はその窓口、保証人ですね。

 

復興資金と戦争賠償

大井: ちょうど、立ち上がったばかりのベンチャー企業がシーズマネーを必要としているのと同じですね。起業家が自宅などのありたけ資産を担保にして事業を興し、ベンチャー・キャピタリストがその将来性に投資をするようなものです。「復興資金」がベンチャー投資だとうすると、投資家がリターンを追求するのは当然ですね。

 

片桐: まあそうですね。私はこの復興資金とともに国際社会では常識の「戦争賠償」もあったと考えています。日本が第二次世界大戦で費やした戦費は実に現在価値にして4,000兆円あったと言われています。現在の国家予算40年分です。一方の米国も最低でも半分、恐らく同等の戦費を費やしたはずです。戦後も傷痍軍人や遺族の補償をしなくてはなりません。

それではその穴埋めは誰がやるのかという問題があります。普通ならそれは敗戦した日本です。 第一次大戦では敗戦国ドイツに過酷な賠償が課せられました。第二次大戦では戦争賠償というものはありませんが、だからといって米国などがそれを黙っていたとも思えませんし、放棄したとも思えません。

そんなことになれば、日露戦争後、日本がロシアから賠償金をほとんど取れなかったことで日比谷で暴動が起きたように、米国でも大問題になったはずです。米国の国益を放棄したことになりますから。このような復興資金援助や戦争賠償、そして当時の世界情勢などが背景にあって、この小日向氏が言う密約があったのだと思います。

 

大井: なるほど。確かに吉田元首相を題材にしたドラマ、『負けて勝つ』では、吉田元首相がサンフランシスコ講和条約に調印した後、一人で何かに調印したと描写されています。その調印に随行員が同行しようとしたら、吉田元首相が断っていますね。ドラマでは調印する責任を吉田元首相が一身に背負うためと描写されていました。

また、吉田元首相は、サンフランシスコで調印することで日本人から恨まれると思い、渡米前、息子と縁を切るとまで描写されています。

 

片桐: そうですね。あのドラマでは、その一人で行った調印は日米安保条約と想定されていますが、小日向氏は、日米安保や憲法は見せかけにすぎず、この特別覚書・密約が日本を根底的に縛っていると断言しています。 要するに1952年の主権回復は一種の見せかけということです。そして、在任期間2ヶ月ほどの石橋湛山元首相を除いた歴代の首相は、その密約にサインしてきたとも小日向氏は述べています。

 

大井: なるほど。そのような密約が結ばれた理由はなんであったのでしょうか?

 

片桐: この国防権、電波権、航空権(航空管制権)という三権が抑えられた状況では日本は軍事的に自立しません。つまり、独力での独立維持は不可能ということが大前提ですね。ただ、焼け野原になった当時の日本に軍事力を動かす資金的余力は全く無いですから、日本は復興に専念したということでしょう。正に吉田ドクトリンと呼ばれるものです。

これは国内的な視点です。 ただ、もっと大きな枠組で見渡し、米国の思惑なども考えると次の要素があったと思います。

  • 賠償も含めお金を貸しているので取り立てを米国が確実にすること
  • 朝鮮戦争の維持
  • 冷戦での対共産圏戦略をはじめ米国の国際戦略
  • 日本が復興して無謀な軍国主義に戻らないようにすること
  • 日本をコントロールすること

国際社会を動かす根底的な要素は戦争とお金です。そして、軍事はお金で動きます。だから、お金の取り立ては非常に重要なことなのです。BIS、国際決済銀行は第一次世界大戦の敗戦国ドイツの賠償を扱う機関、つまり取り立てを行う機関として発足したことからも、このことはわかると思います。

そして、そのためには日本をコントロールすることが必要であり、同時にそのことを前提として冷戦や朝鮮戦争という米国の国際戦略を確実にする必要があったわけです。1951、52年当時を見れば、1950年から朝鮮戦争が始まっていて、その真っ最中なわけです。占領下の日本はその朝鮮戦争の後方支援基地です。

開戦当初、米国を始めとする国連軍は釜山近郊まで制圧されて追い込まれていたわけですが、そのような状況では後方支援基地の日本というのは戦略上必須だったと思います。後方支援基地は軍事上、非常に重要なのですが、朝鮮戦争において、占領下の日本は極めて重要なポイントであったわけです。開戦当初、米国は日本を占領していたので、軍事展開に必要な電波や航空事情を自由に出来たわけです。

しかし、1952年、日本が主権を回復するとそれができなくなる。これは米軍にとっては大問題のはずです。戦争続行が不可能になる。それを回避する必要があるわけで、このような当時の事情も、密約締結の背景にあったのは間違いないでしょう。

そうするとこの密約は、朝鮮戦争の大前提ということになります。休戦状態であっても、この大前提は崩せないということでもあります。それを裏返して言えば、この大前提が崩れれば、朝鮮戦争は終わるということでもあります。

 

戦争とお金から見た「主権・独立」の契約事項

大井: 確かに軍事の常識から考えれば、その通りですね。そして、片桐さんはその密約が終わり、三権が帰ってきて、日本は本当に独立したと論じられましたね。

 

片桐: そうです。国際社会の本質は、戦争とお金と先に述べました。そして、これらを縛る契約です。

 

大井: 契約ですか?

 

片桐: そう、契約です。だから、今日の対談で「サインする」という表現を意識的に使いました。国がお金を借りる契約である国債にも財務大臣のサインが必ずされていますよね。

そして、国際社会ではそれらを履行させる強制力は基本的に軍事力です。一度、契約にサインしたらそれは必ず履行されなくてはなりません。それが国際社会です。日本ではこのことが意外と軽視されてるように思います。

例えば、1904年に始まった日露戦争で戦費調達のために日本は外国からお金を借りるために主に米英で国債を起債しました。その時の借金を返し終えたのは実に1986年です。バブルが始まる直前です。およそ80年かかって契約が履行されたわけです。

また、第一次大戦の敗戦国ドイツは2010年にその賠償支払いを終えました。これが国際社会の本質です。因みに、日露戦争戦費調達のための起債で、日本は関税収入と煙草官営収益を担保に入れています。

 

大井: 私が身をおく国際金融の世界と全く同じ仕組みですね。そして、その契約期間がとても長いですね。長期ローン返済ということですね。

 

片桐: そうなんです。国家間のお金のやり取りは、莫大な金額になるわけです。それを長期で支払うということになります。国家予算というのは大抵1年決算ですから。

そして、強制的に一度に取りたるような過酷な条件になると、第一次大戦後のドイツのようにひどいインフレになって経済が悪化したりします。だから、大体、20年、40年、60年という年限となるわけですが、戦争に係るお金のやり取りは60年というものが多いと思います。

 

大井: それだけ長いと契約がなされた時のことを覚えている人がいなくなりますね。歴史に根付いて国際社会を見ないと、今、自国や自分達が置かれている国際社会での位置づけがわからなくなりますね。

 

片桐: 正にその通りで、本論の核心とも言える大変重要な指摘です。このような視点で見つめると、1951年にサインし、翌年発行した主権回復と同時に先の密約が開始されていれば、60年満期後となる2013年4月27日に先の密約は終わるということなのです。

つまり、その60年間、日本は様々な形でその復興資金と金利、そして戦争賠償に匹敵するものをせっせと返してきたわけです。そして返し終わり、契約が履行された、国防権、電波権、航空権(航空管制権)の三権が、戻ってきていると結論づけたわけです。

 

大井: 目からウロコです! 確かにお金を借りれば返済しなければならず、返済したら担保は差し戻されます。

 

日本に三権が戻ってきた

片桐: その通りです。このことを前提にすると、先に述べた朝鮮戦争は、休戦状態であっても続行は不可能になります。

つまり、朝鮮戦争が終結するということです。実際、2016年に韓国から米軍が完全に撤退します。これが話し合われ始めたのは2003年です。現在、言われているオフショア・バランシングや米国財政危機で米軍縮小が言われるはるか前です。恐らく、日本の独立を踏まえ、そのための動きでしょう。

そうすると、今後、朝鮮半島情勢は流動化します。朝鮮戦争時、北朝鮮側にいたロシアや中国を目の前にして韓国は戦えるはずはないですから、これまでと違ったことが起こるはずです。朝鮮半島統一もありうるということです。

このことと同様なことが日本でも起こっています。国際ジャーナリストの日高義樹さんが、日本に米軍基地はあっても、2014年以降、米軍が全くいない状況になる(PHP Biz Online 衆知 2014年3月13日12時0分配信)と述べています。

実際、空自航空総隊司令部が米軍横田基地内に2012年移転完了し、2013年3月には陸自中央即応集団司令部が神奈川県キャンプ座間に移転を完了しています。日高氏の指摘と合わせて考えれば、もぬけの殻となった米軍基地の主は既に自衛隊であると言えます。この移転は2006年に日米間で決められています。

また、神奈川県にある米軍通信基地も返還過程に入り、今年、一部返還され、近々に全て戻されます。通信は軍隊においては根本ですから、これが返還されるということは、撤退ということであると考えてよいでしょう。

余談ですが、電波はレーダーやミサイル探知に使用しますが、40年以上前、VOA(Voice of America)の放送で使用した短波帯の電波を利用して、米国は中国からのミサイル探知・迎撃するシステムを構築していたりしました。電波の自由使用の権限が米国にあったからできることですよね。それが、今や返還に至っているわけです。

また、巨大な電波塔である東京スカイツリーにもこの変化がよく現れています。東京スカイツリーの開業は2012年5月ですが、電波運用が始まるのは、2013年4月の独立後の5月です。このようなことと連動して、地デジの運用や携帯電話のプラチナバンド開放などもあると考えています。2011年3月11日の東日本大震災の復興作業に従事した米軍の救援部隊のオペレーションは戦後はじめて自衛隊の指揮下に入ったのです。

 

大井: 確かに、最近、羽田空港では発着枠が着々と拡大されていることは、航空権に関わることと同期しますね。飛行ルートと関係しますからね。

 

片桐: その通りです。前述した横田基地の実際を考えても、既に起こっている事実といえるでしょう。

密約からなる60年が終わった後の最初の日である2013年4月28日に、政府主催の主権回復式典が天皇陛下ご臨席の下、行われました。ただ、この式典、毎年の行事と思われるかもしれませんが、実は戦後始めてなのです。そして、今年は行われていません。つまり、戦後最初で、恐らく最後の式典なのです。普通にみると不思議ですよね。

そして、その翌日の29日、日本とロシアは「日露2+2」(ツープラスツー)を締結します。「2+2」というのは準同盟とも言える関係です。それを平和条約もないロシアといきなり結ぶわけです。米ソ冷戦を考えてもこのような日露接近が生ずるのは、明らかに戦後構造の変化の証でしょう。その後、日本はフランスとも「2+2」を結びます。日本が独自性をもって動き始めています。

 

次回 超長期のトレンド:今後の国際情勢と安全保障について 「戦争とお金」の観点から日本の真の独立を考察する 2/2回

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