世界に発信すべき日本の平和哲学「カタカムナ宇宙観」この哲学無くして世界に平和は無い、潰される前にその「正統性」を語り尽くせ
6月27日にチャンネル桜の討論番組「闘論、倒論、討論:未来世界?ブーチン・ロシア・BRICs」に初めて出演させていただきました。
世界はミアシャイマー博士の言う「攻撃的現実主義 Offensive Realism」の中にあり、その動きの一端がBRICsのブロック化であり、多極化する秩序に向けて各国がサバイバルゲームを繰り広げています。そうした現実の中で、司会の水島氏も出演者の皆さんも日本国の存亡について危機意識を持っておられます。3時間にも及ぶこの番組が終わって、私は日本国内でグローバリストだナショナリストだ、左派だ右派だと互いにレッテルを貼って悠長な論議を繰り広げている場合ではない、あまり時間的余裕がなくなっていると感じています。
番組の中で、国防・安全保障の専門家、矢野義昭先生が「何故命を賭けてまで国を守らなければならないのか、その精神的な基盤を今の日本人が見いだせなくなっている」という趣旨の重要な発言をされました。
私は矢野先生のご発言を「日本人が日本国を守らなければならない正統性を失っている」と捉え、単に「神国日本」と胸を張るだけでは21世紀の世界では戦えないと思います。我々の正統性をより上位の普遍的な価値として世界に発信しないと、我々は権威のない、いつ潰されても仕方のない国体とみなされてしまう。これから生きていかなければならない子孫に対して、他国が決して犯してはならない日本の正統性とは何か、なぜ日本が平和国家として存在し続けなければならないかを伝えなければならないと思います。
日本が世界で唯一無二の民族国家として生き残らなければならない根拠は、「カタカムナ」にあります。「カタカムナ」は宇宙の摂理と法則、生命の真理(神秘)を示す体系です。量子物理学の進歩によって、目に見えないエネルギーや次元を超えた領域を自然との共存の形で伝えられた「カタカムナ」の正しさが科学的にもほぼ明らかになってきています。
もっと平たく言えば、「カタカムナ」は人がありのままの自然を受け入れて生き延びるために、人が知るべき宇宙のあり方を解き明かしています。あるいは生物体として共同体としてどう生存していけるか、包括的な昇華された実践体系とも言えます。たとえば、エネルギーの最小単位は「アマ」と表現されます。素粒子ニュートリノです。「カタカムナ」は口伝され、そのウタヒ(図象文字を使った80首の謡)ではひも理論が語られ、おそらく11次元「超弦理論」までの空間が表現されているのではないかと思われます(私には難解すぎて説明できませんが)。
日本列島に1万年以上も共同体を形成して生き延びてきた縄文人たちはおそらく「カタカムナ」を規範として伝承してきたと想像します。集団宗教としての古神道や祝詞の言葉やコミュニケーションのリズム(五七五など)は「カタカムナ」から派生しています。
たとえば、六根清浄禊祓では「人は則ち天下の神物(あめがしたのみたまもの)なり」と表現しています。その意味するところは、一人一人は「アマ」のエネルギー集合体であり、個であると同時に他者と互いの存在を波動で意識し、つながり(絆)を感じ、宇宙とも共存します。時にはエネルギー波動が調和して協調したり、波動が乱れて反発し合ったりもします。あたかも印象派画家スーラの描く点描画のように、一点一点がそれぞれ別の色で示されながら全体を構成し、その全体像が形を変えながら時間と共に流れていくといったイメージです。
「アマ」を象徴する天地創造主は「天之御中主神」として古事記の最初に登場します。日本の神話では次元の異なる宇宙の存在を伝えつつ、そこから世俗の統治に投影した形で「天皇制」が派生してきたものと想像します。その意味では日本の統治機構としての「万世一系」の正当性の根拠もまた「カタカムナ」に内包されていると思います。
「カタカムナ」宇宙論は、ギリシャ神話のような多神教ではありません。またアニミズムでもありません。さらに、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教といった世界の三大宗教における絶対神の教え(テキストとしての聖書やコーラン)が自然と人をコントロールするという世界観とも異なります。「カタカムナ」は汎神論さえをも内包する宇宙のあり方を示す体系なのです。よって、宗教よりも上位にある宇宙観=哲学だと私は位置付けています。
何よりも重要なことは「カタカムナ」が「平和」の実践論であり、「平和」はエネルギーの調和(バランス)によって作り出されます。人々が政治経済的にどのような人為的な制度を作り上げようとも、そうしたハコモノを動かしていくのは集団的な「氣(エネルギー)」であります。縄文以来の日本人の生活習慣の中には、衣食住やコミュニケーションの仕方、身体の所作などを含めかなり伝統的なホーリスティックな型(規範)があったはずで、それは洋式を変えながらもおそらく江戸時代まで連続してきたと思います。
こうした縄文からの連続性は、明治維新の近代化を経て「軍国主義」と言われながらも戦前までは存在し続けたと思います。それは私が明治生まれの祖父母と昭和一桁の両親と一緒に生活した体験から実感できるのですが、平成を経て令和の時代になって急速に失われています。と言うよりも、政府が日本を喪失させるような政策を実施しているために日本の原点が消し去られていく、そのスピードが加速しているのです。
ネット上の「都市伝説」系チャンネルでは日本は特殊だ、日本は潰される、民族喪失の危機だ、逆に日本こそが世界を救う、といったネタが多いです。どれも興味深いです。そしてエコビレッジ・ビルダーを始めたり、政治活動に入ったり、何らかの行動を起こす人たちもいます。陰謀論ではありませんが、戦後八十年でここまで平和ボケしていては「攻撃的現実主義」の前に日本がいとも簡単に「潰される危機感」を私も持っています。では何をなすべきか?
まず日本人の集団的な「氣(エネルギー)」を変えていくしかない。我々を形作ってきたDNA、伝統的な慣習や神道や仏教など日本人を日本人たらしめる原点「カタカムナ」宇宙論の真実を世界に知らしめすことが重要だと考えます。そこにこそ、日本が世界の中で生き延びていかなければならない使命、そして世界を平和に導く唯一無二の正当性があるからです。
我々は生き残るべき正統性のすべての根拠をすでに持ち合わせている。にもかかわらず、それに気づいてすらいない。真実があるのに見ようともしない。量子物理学の次元で科学的根拠を示し、かつ神道や仏教、あらゆる宗派を含め、芸術の面でもソフトパワー全開の日本。何故誇りを持てないのか?戦後の自虐史観云々を議論するのも飽きてきました。「カタカムナ」原点に立ち戻り、日本人にとってこの芯となるユニバーサルな価値を基軸に世界で戦えると私は確信しています。
コメントは締め切りました。