思想朦朧の日本、自主独立のための「国家理性」とは何か インバウンドで見えてくる宗教界の実態
今回の参院選では予想通り自民党も野党も既成政党は議席を減らし、代わって新しい政党が議席を伸ばしました。特に参政党の躍進は目覚ましく、彼らのスローガン「日本人ファースト」は多くの人の共感を得ました。
石破自民党のメルトダウンは、戦後80年の「戦後レジーム」の終末を意味しています。ちょうど昨年末、私は「フォース・ターニング The Fourth Turning」(2024年12月30日付)で、2025年は日本では「巳年」にあたり、この機会に脱皮できるかどうか、特別な年になるだろうとお伝えしました。
その予想通り、2025年には第2次トランプ政権が発足し、これまでのバイデン政権を支えたグローバリスト勢力を猛烈な勢いで一掃されています。まさに反グローバリストによる「リベンジ」です。トランプ政権の動きは世界秩序を動かし、日米関係をも大きく揺るがしています。
石破自民党政権は、このような根本的な世界秩序の変化も、国民の生活苦や高まる反グローバリズムの波も理解することなく、「三だけ主義(今だけ、自分だけ、カネだけ)」で沈みかけています。そんな中、日本は真の主権国家として自主独立できるのかといった論調があちこちで出てきています。
日本が形式的には主権国家ではあるものの、自立できていない理由はいくつもありますが、それについては『この国を縛り続ける金融・契約・戦争(Amazon)』(2015年)で詳しく述べました。ここでは、これから自立するには何が必須なのかを考えてみます。
少し話は逸れますが、国際政治アナリストで米国の外交に詳しい伊藤貫氏の動画「激動する国際政治とロシアの運命(YouTube)」は大変勉強になりました。
伊藤氏とは、ある国会議員(伊藤氏と私の共通の友人)の勉強会でお会いしたことがあります。日本の政治、外交を外から俯瞰する伊藤氏の視点はとても重要です。
今回ご紹介する動画ではプーチンの生い立ちから掘り下げ、彼がいかにロシアのトップに上り詰めたのか、その人生の軌跡を示しています。皆さまもぜひご覧になってください。
ソ連崩壊で国の資産をユダヤ系オリガルヒに掌握され、ボロボロになった状態からロシアを再興したプーチン、そのリーダーシップには彼一流の「国家理性」が不可欠でした。そしてその理性をプーチンが自らの意思で構築してきた過程を伊藤氏の解説から知ることができるのですが、伊藤氏はプーチンをビスマルクに匹敵するほどの歴史的に優れた「国家理性」と評価しています。
私は基本的に彼の「国家理性」の本質、そしてロシア国体の再生と新しい国家の運営手法には、3つの柱があると考えます。第1に国家のモラルの復活、第2に「資本の合理性」に基づく国民経済、第3にリアリズムに徹した外交政策です。
国家のモラルの復活こそが、三つの柱の中で最も重要な中核となる第1の柱です。プーチンは共産主義で荒んだ国民の「心」を取り戻す必要があると考えます。が、同時に、プーチンはアングロサクソン流の西欧思想はロシアに合わないことを認識していました。そこでロシア正教を復活させ宗教観を日常生活に引き戻すことで、暮らしの中でロシア人の心の美しさ、すなわちモラル、倫理道徳観を取り戻します。それは、ロシア民族の文化芸術、文学、哲学の価値を見直し、再評価することでした。そうしたモラルの復興によって国民は自尊心を取り戻し、社会は「法と秩序」を再構築できたのです。
第2の柱は「資本の合理性」に基づく国民経済の復興です。共産主義の生産体制では「資本の合理性」の追求が叶わないばかりか、共産主義のイデオロギーが経営の合理性を疎外し、賄賂が横行し、工場では働かない共産党員にカネが集まり、欠陥製品が山積みとなりました。ソ連の経済がなぜ崩壊に至ったかについては、当コラムで何度かお伝えしてきました。よろしければ以下の記事をご覧ください。
プーチンはオリガルヒから国家の資源を取り戻し、資源高を追い風に「安定と成長」を掲げ、経済政策を推し進めました。ソ連崩壊時に年金未払いとなった多くの年金生活者への支払いを再開し、国民の生活安定を図ることで大きな支持を得てきました。
第3の柱は「リアリズムに徹した外交」です。ミアシャイマー博士のいう「攻撃的リアリズム Offensive Realism」の展開です。トランプ関税でも明らかになったように、今の国際関係は、米国を基軸としながらも多極化し、重層化するディールで各国の利害が織り込まれていく複雑系です。「超限戦」が繰り広げられる環境で、冷徹なるリアリズムがなければ主権を守り生き残ることは不可能です。
以上の三つの柱を日本の主権回復に当てはめると、高い霊格を備えた言動一致のリーダーが出現し、日本の本来の価値を復活させ、国民のモラルを取り戻し、法と秩序を回復、強い経済を取り戻し、リアリズムに徹した外交を展開し、主権を回復する・・・このような理想型がベストです。しかしながら、まずは第一の関門が最も難しい。
戦後80年、左翼だ右翼だ、あるいはリベラルだ保守だとさまざまな言説空間で語られてきた思想は、今や「グローバリズム 対 反グローバリズム」の対立図でかなり朦朧としてきています。日本の本来の価値や哲学、思想や宗教心、倫理道徳、宇宙観に関して一貫した思想体系として客観化し、異なる文化圏に対して論理的な説明を展開してこなかったそのツケが溜まっています。
絶対神を掲げる一神教の人々、特に西欧キリスト教における「神議論」で論争を重ねてきた歴史をもつ知識層に対して、日本の本来の価値や哲学、思想、宗教心、宇宙論を説明するには客観的な論理を組み立て、議論する必要があります。が、この努力を日本の近代主義者たちが十分にしてこなかったのではないか。
先日、知人の小川寛大氏が自身の発行する機関誌「宗教問題」を送ってくれました。夏季号特集は「インバウンド 対 宗教」で、読み応えのある内容です。外国人観光客が連日神社仏閣に押し寄せる中で、特定のある国の人々が寺や神社の聖域で蛮行を繰り返し、住職や神主たちは注意も抵抗しない情けない実態が記されています。インバウンドでカネ儲けできればいいんだと、宗教指導者たちも「三だけ主義」を貫いているようで、これでは正しく日本の宗教や歴史、宇宙観を外国人に論理的に説くこと不可能です。
政治を神聖なる祭り事としてきた日本で、政界、宗教界がまずはモラルを取り戻すべきでしょう。さもないと日本は基軸(真)を失い、グラグラのままです。とても冷徹な「国家理性」を掲げるには至らないです。尊厳を失った国民を残したまま、主権独立など夢のまた夢です。
機関誌「宗教問題(Amazon)」
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