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11月「芸術の秋」に想う、日本文化の連続性について(雑感)

 11月初めに、三重県の松阪に吉田悦之先生を訪ねました。吉田先生は本居宣長記念館館長を長く務められ、『宣長にまねぶ』や『日本人のこころの言葉 本居宣長』を著わされた宣長研究家です。私は宣長の今日的意義や日本の文化の真髄について吉田先生から多くを学んでいます。

 吉田先生は12月19日に松阪市内で「本居宣長とラフカディオ・ハーン(小泉八雲)」という題目で講演されます。なぜ宣長と八雲なのですかと尋ねると、先生は「二人を結びつけるのは古事記です」と説明してくれました。

 宣長(1730-1801)は古事記を研究し、「魂」としてのやまと心を生涯大切にしました。その古事記は英国人で日本研究家のB.H.チェンバレン(Basil Hall Chamberlain)により翻訳され、1882年に『KO-JI-KI or “Records of Ancient Matters”』として出版されました。なぜこの時期に英訳されたのか?

 実は日本は明治維新の直前、1867年に初めてパリ万博に正式参加し、その伝統的な美術品や文化が世界に紹介されました。この日本デビューは瞬く間に欧州でジャポニズムを巻き起こし、北斎らの浮世絵はゴッホやモネなど当時の印象派の画家たちに大きな影響を与えました。

 英訳版「古事記」の出版から3年後の1885年にロンドンではギルバート&サリバン作曲のオペレッタ「ミカド」が上演され、エキゾチックなストーリーが人気を博しました。余談ですが、私はニューヨークに住んでいた1999年に、「ミカド」初演に至るまでのギルバートとサリバンのドタバタ喜劇を題材にした映画「トプシー・タービー」を観たのを覚えています。「ミカド」は日本人から見ればトンチンカンな東洋趣味なのですが、当時のロンドンでは万博の影響で大変な日本ブームだったようです。

 さて、ラフカディオ・ハーンは1885年の米国ニューオリンズでの万博で日本文化に初めて触れ、とても心を惹かれます。そして、その時に出会った文部官僚の服部一三と東大で教えていたB.H.チェンバレンの手助けで島根県尋常師範学校での英語教師の職を得て、日本に向かいました。古事記の世界、出雲国が彼の憧れの地だったからです。

 明治維新以降の過激な廃仏毀釈や文明開花といった社会変動が渦巻き、一般の人々もそうした新しい時代の変化に押し流されて行きました。そうした西欧化/近代化の勢いに打ち消されてゆく日本の庶民の暮らしや日々の風情を、小泉八雲は美しい物語としてたくさん書き残してくれました。

 明治維新と古事記とは融和性がある一方、全く相容れない側面があります。古事記は天皇制復活の正当性の一根拠として尊ばれました。しかし、やまと心とは軍国主義的家産官僚国家・大日本帝国とは相容れないものです。宣長が大切にしたやまと心は「朝日ににおう山桜」のごとく、カタカムナから引き続く韻の踏み方や和歌の基本5−7−5といったリズムが奏でる究極の唯美主義的な存在感です。それは和歌や文学、日本画の独特な空気感や空白感としてそこはかとなく漂っています。日本人の心の風景は、古事記、伊勢物語や源氏物語のような絵巻もの、そして北斎に至るまでの長い連続性があるのです。

 ちょうど11月に根津美術館で伊勢物語の美しい展覧会が開かれています。在原業平の心象風景が大和絵など五感を通して繊細に感じ取れる素晴らしいキュレーションを堪能できます。

 また北斎といえば、11月に日本橋TOHOシネマズで「おーい、応為」を観ました。北斎の娘、葛飾応為が父と共に旅し、絵に情熱を燃やす人生を描いた傑作です。応為は明治維新の2年前に亡くなっています(1800-1866年)。彼女の「吉原格子先之図」は、吉原の享楽、江戸の光と影を近代的で精密なタッチで描かれています。その画面からは、徳川体制と共に熟れて朽ちていく最後の江戸文化の儚げで、哀れみさえ漂います。

 今2025年も終わりかけています。昭和100年、戦後80年を経て、今の暮らしぶりを振り返ると、「おーい、応為」の江戸の火事や長家の人たちの暮らし、街中の金魚屋の掛け声や銭湯などの映像には、私たちとの連続性も感じます。では私たちの「心の風景」はどう変化しているのか?

 明治維新以降、天皇制の下で大日本帝国は死に物狂いで近代化を推し進めました。そのおかげで日本は欧米の植民地になることはなかったのですが、不幸にも1945年の無条件降伏で日本の精神史には大きな断絶が生じたと私は考えています。日本人自身が「戦後の民主化」の名の下に、自らの文化・文明を否定し、ここに古事記から連続してきた日本文化の価値体系への認識に断絶が起こったのです。

 昭和が去り21世紀になって、私たちは捨て去ったものを再び拾い上げ、その歴史認識とその価値を更新する時に差し掛かっています。宣長が古事記を深く研究し、やまと心を取り戻したように。それと同時に、民主主義政治体制の下で再び日本が自立するために、国民の納得する憲法と十分な国防を国体のために整備すべき時です。精神面と体制面をどう整え、日本人として日本としてどう生き残れるか。これだけの文化度の高い平和国家になった今、政治家に頼らず、市民レベルで意識を高めることが必要です。

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