グローバルストリームニュース
国際金融アナリストの大井幸子が、金融・経済情報の配信、ヘッジファンド投資手法の解説をしていきます。

日本再構築(案)カタカムナで再生しよう

「再構築」の意味について

 先日、テレビ番組「カールさんとティーナさんの古民家暮らし」をみました。ドイツ人建築家カール・ベンクスさん妻ティーナさんは新潟県十日町の里山のとても魅力的な古民家村に暮らしています。カールさんは日本での活動を評価され、「ふるさとづくり大賞」を受賞されました。(詳細:https://www.youtube.com/watch?v=k6LZ5uF8laY

 私はカールさんの古民家再生のやり方を見て、「なるほど、合理的だ!」と思いました。最近は築百年以上の古民家を再生してホテルにしたり、シェアハウスにしたりといった「町起こし」の話題はありますが、大抵は壊れたところにつぎはぎして、古民家の原型を保っています。私の知人はある地方で古民家をそのまま借り受け、DIYで住み始めたのですが、最初は虫の死骸が散らばる幽霊屋敷で気味が悪かったと言っています。

 カールさんのやり方は全く異なります。崩れかけた古民家をまず完全に壊し、その中から柱や梁など使える材料を仕分けし、きれいに整備します。そうした材料を再利用して、全く新しい家を建てます。家は古民家でありながらも床暖房やドイツ製の窓を備え、近代的で快適です。

 「日本の昔の大工さんは素晴らしい、数百年もの梁や柱が何代もの家族を支えてきた。今の住宅は一代だけの工業製品に過ぎない。なぜ日本人は宝物を捨てて、ゴミを拾うのか?」とカールさんは言われます。

 この言葉は、私たちの生き様にもあてはまると思うのです。御先祖からの伝統を昔のままの形で後生大事に抱き抱えるか、あるいは時代に合わない古くさいものとして捨てるのか、どちらか二者選択という狭い了見しか、私たちは持ち合わせていないのではないか?

 カールさんのように、貴重な価値あるものを21世紀の今に合う形で再利用して、家全体を再構築する、といった柔軟な考え方や知恵がなぜ私たちには働かないのか?

カタカムナの普遍性

 カールさんは茅葺古民家「双鶴庵」の優しさや暖かさを慈しんで生活されています。里山の自然と一体化した古民家村には、和のエネルギーがあります。都会に暮らす私たちはそうした和のエネルギーを失っていったのではないかと思います。

 なぜ、こうした話をするのかというと、当ニュースレター前号で「グレートリセットに対してカタカムナで生き残る」と書きましたところ、読者の方から「じっさいにカタカムナでどのように生き残るのか」という質問が来ました。

 そこで、カタカムナ文明の価値を21世紀にどう活かすのかを考えたところ、カールさんの古民家再生と同じように、その本質を時代に合う形で再構築すればよいのではないかと思いつきました。カタカムナは、宗教やドグマではなく、人間(生命体)を自然の中の宇宙エネルギーの一部として認知する極めて普遍的な法則性であり、私たちのDNAに埋め込まれています。その意味では、日本は汎神論的です。また、日本語の話し言葉の母音や発音にも穏やかで独特な響きやリズムがあります。祝詞、和歌や俳句、昔ばなし、民謡にもカタカムナのウタヒの名残があります。

 私たちはどこから来たのか?どこへ行くのか?日本人を日本人たらしめているその原点はカタカムナであり、21世紀の日本を再構築するには、まず崩れかけた廃墟の中から本当に大切にされてきた価値を探し、見出し、拾い出さなければなりません。そして、再利用するためには昔の荒れ果てたままにせず、それをきれいに整備する必要があります。

つまりは、大日本帝国に戻るとか、教育勅語を復活させるとか、そうした古い時代の価値にしがみつくのではなく、もっと世界に出ていって日本の普遍性と素晴らしさを伝えていく、そうした新しい覚醒が私たちに必要になります。

 日本の覚醒は、単なる「民族自決」ではなく、世界全体を巻き込む新しい息吹になるでしょう。なぜなら、世界は平和を望んでおり、高次元の「和」を実現できるのは、一神教を超えた価値観、すなわち、汎神論的なカタカムナ文明しかないのです。これが、日本が国際的なリーダーシップをとれる真の姿だと私は考えています。

ヘッジファンドニュースレター

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