第二の敗戦で戦後のRAA「特殊慰安施設協会」復活なのか? 窮乏化で海外に身売りする若い日本人男女
「国破れて山河あり」という漢詩がありますね。
室伏謙一氏「霞ヶ関リーク」の動画、「日本で売春、闇バイトが増えた本当の理由 YouTube」と「なぜ20代女性だけが急増?マッチングアプリだけではありません YouTube」をみると、「国敗れて身売り増え」という「貧すれば鈍する、ここまで落ちたか」という感じです。
室伏氏は元総務省官僚、今は政策研究所を立ち上げ、社会問題について事実を掘り下げ、データに基づいた精緻な政策案を展開されています。私は「チャンネル桜」の番組でご一緒したことがありますが、理路整然と鋭い提言をされています。
さて私がショックだったのは、日本の将来を背負う若い男女が闇バイトや売春で犯罪を犯し、梅毒で健康を害し、とんでもないことになっているという事実のみならず、こうした状況を作り出していった日本の政治経済の担い手たちの「パーリア(賎民)性」です。自国の若者に身売りまでさせるなんてあってはいけないことなのに、なぜここまで事態が酷いことになっているのか?
最近、戦中および敗戦後の日本について『占領神話の崩壊』(西鋭夫、岡崎匡史 中央公論社)から多くを学びました。この本はスタンフォード大学フーヴァー研究所に70年以上も保管されていた米軍占領下のナマの一次史料を紐解いた二人の学者が、史料から占領の実態を再構成していった第一級の歴史研究書です。
その本の中で、RAA (Recreation and Amusement Association「特殊慰安施設協会」)に関する記述を読むにつれて、私はハタと現在の若者の「身売り」と相関性があると気づいたのです。
私は横須賀の田舎で育ったので、市内には米海軍の基地があり、敗戦後には「慰安所」があって「ドブ板通り」には「パンパン」と呼ばれた米軍水兵相手の娼婦がたくさんいたという話を大人たちから聞いていました。『占領神話の崩壊』の169頁には当時の横須賀の慰安所「安浦ハウス」の写真があり、それを見たときは「本当にあったんだ・・・」と胸が締め付けられました。
『占領神話の崩壊』からは、RAA設立はマッカーサー率いる占領軍に要請されたものではなく、日本政府が自己保身のために、GHQにすり寄るために、多くの若い日本女性を騙してRAAに滅私奉公させたと読み取れます。敗戦当時の日本には飢餓が蔓延し、焼け出されて生きるために身売りせざるを得ない若い女性もたくさんいました。日本政府はこうした最も弱い立場にあった戦争犠牲者(女性)の弱みを利用して、RAA設置に動いた。RAAへの貸付は日本勧業銀行(現みずほ)、大蔵省主計局長だった池田勇人(後の首相)がゴーサインを出し、RAA運営には児玉誉士夫や笹川良平といった戦後の黒幕といわれた人たちが関わり、悲惨な売春宿で多くの女性たちが虐待されて狂い死にしたり自殺したりする中、彼らは搾取の裏でがっぽり儲けました。そうして稼いだ裏金は自民党「55年体制」に大いに活用されました。これが歴史資料から読み取れる事実です。
占領下の女性の身売りは国策だった。では今はどうか?バブル破綻以降、日本の国民経済は疲弊し、その過程で貧富の格差と世代格差が拡大し、若年層、特に若い女性には大きな皺寄せがきています。「失われた30年(以上)」で少子化が加速したのも、若年層の負担が重すぎて将来の生活に希望が持てない、家族や子供を持ちたくても持てない、こうした閉塞感が強すぎるからです。ついにはお金のため、生活のために身売りするまでに追い詰められてしまった。
インバウンド観光客向け売春や海外での闇バイトを斡旋する裏組織が、すでにどこかの国の占領下にある日本に押し付けられた国策として動いているのか、と疑いたくなります。が、ここまで反社会的かつ反倫理的な問題を放置しておくことになぜ政治家や宗教活動家、教育者たちは反対の声をあげないのか?そこまで構造的に日本国民を貶める国策なのか。一言で言うと、日本男子はここまで腑抜けで情けなくなった・・・というのが私の率直な感想です。
作家の高見順は『敗戦日記』でRAAの実態を目の当たりにして以下のように書いています(『占領神話の崩壊』 p.172より引用)
占領軍のために被占領地の人間が自らいちはやく婦女子を集めて淫売屋を集めて作るというような例が—-。支那ではなかった。南方でもなかった。懐柔策が巧みとされている支那人も、自ら支那女性を駆り立てて、淫売婦にし、占領軍の日本兵のために人肉市場を設けるというようなことはしなかった。かかる恥ずかしい真似は支那国民はしなかった。日本人だけがなし得ることではないか
高見順の嘆きはごもっとも。彼が生きていれば戦後80年経て「ここまで骨抜きになったか、本当に情けない」と言うかどうか・・・
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