TPPは日本の農業を変える外圧か?
日本は外圧がないと自らの仕組みを変えることができないらしい。狭い島国は規制と既得権益が複雑に絡み合ったずぶずぶの状態で、誰もどこから手をつけてよいのかわからない。日本で改革が進められないのは、こうしたずぶずぶ状態を日本の秩序として維持することをみずからの使命と固く信じてやまない勢力があるためだ。
カレル・ヴァン・ウォルフレンがいみじくも指摘するように、日本という体制の現状維持を危うくする存在とみなされた人物を、日本のシステムは必ず社会的に葬ってきた。政治家もメディアも「画策者なき陰謀」を仕組んできた。才能あふれる人材やアイデアをつぶしてきた結果、日本はあるべき輝かしい未来を失ってきた。
本来ならば自らの問題は自主的に改革・解決していくべきなのだが、いよいよ事態が行き詰ると、日本は「外圧」を利用して既存の利権の仕組みを調整・改善してきた。黒船と明治維新、米軍占領と戦後の民主化など、大きな歴史的変化に対して日本は外圧をレバレッジにうまく立ち回ってきた。バブル崩壊後の不良資産処理の際には、長銀をリップルウッド売却したし、日産の再建には外人のゴーン社長に経営を任せた。
日本の問題は、日本人自身がきちんとした解決策を持っていながらも、国内の対立を恐れるあまり自らの手で執行できない、だから外圧に媚び頼る、結果、外人に多くの利益を持っていかれてしまう。そうした繰り返しで、本質的な改革の成果が日本人に還元されていかない点だ。
外圧による解決が繰り返されれば、外人にはなめられるし、国内には望ましくないことを押し付けられたという怨念が蓄積されていく。自主性を欠き、自己責任をとる意地がないため、日本は常に自虐的な苦しみを味わうことになる。そのいら立ちは、外人のせいではない、自分のせいだとわかっているからこそ、なおさら陰湿さが増幅されるのだ。
TPPについていえば、問題は、海外との貿易協定というレベルではなく、自国の農業政策、JAなどずぶずぶの利権構造を引きずったまま国益がどこにあるのかも見えていない状態で小手先の解決しようとしていることだ。
日本の農業政策についていえば、食料自給率を高めるべきなのに、減反すれば農家がおカネをもらえるとか、普通の人が聞いてもおかしな話がある。経済合理性のまかりとおらない農業政策の裏には非近代的な要素がたくさんある。JA農水省と経産省の縄張り争いなど、国内でまず解決しなければ、日本人の生活をよくすることはできない。その前提があってTPPをどうしたいのか議論すべきで、外圧として使おうにも使えないほど日本政府はすでに自主性を放棄している。