自顕流三昧の一日
11月25日の夕方に羽田から鹿児島へ発った。その前の週に軽いぎっくり腰をやったので心配だったが、なんとか体はもった。26日朝、南洲神社に向かう。午前中は、鹿児島道場の門人たちと合同稽古。彼らは、我々都会暮らしの東京道場の門人とは異なり、打ち込みにもすごく腰が入っていて、差は歴然としている。不安に思いながらも午後に昇段審査。なんとか皆さんといっしょに突破。
陽が落ちて夕刻、鹿児島中央駅近くの居酒屋で懇親会。焼酎を片手に「おはら節」を皆で歌った。じつに明るい。その席で、東総師範はこの10月に亡くなったスティーブ・ジョブズについて語った。彼のスタンフォード大学での講演内容「点と点をつなぐ、挫折と愛、そして死について」触れた。じつに不思議なのだが、「ハングリーであれ、愚直であれ」という彼のメッセージが武士道と近いことを知った。
東京道場の大先輩は、「自顕流は動く禅だ」と教えてくれたし、鹿児島の先輩も、平常心を保つには「電車で前に座っている人が突然ナイフをもって刺しかかってきたらどうするか」といった危機に対して常に準備ができていることが必要だと語ってくれた。昔の武士はそういう気構え、気概があったのだろう。だから腹が据わっており、物事の判断につけても、渦中の外に出て大局から下すことができたのだろう。こうした態度は、精神面の抽象論ではなく、実践的で反射神経を鍛えるトレーニングも必要とする。
米国に滞在していたころ、映画「ラストサムライ」を見て感動した。西郷隆盛を明治維新後の近代化をひた走る日本の最後の侍としてフィクション仕立てにしたストーリーだ。日本に住むことがあれば武士道を実践したいと考え、たまたま知人が自顕流の東京道場を紹介してくれたので、通うことになったのだ。
私は20年近くをニューヨークで暮らした。日本で「失われた20年」といわれている時期である。私にとっては自顕流との出会いで、日本を失っていた月日は取り戻すことになった。一方で失われたものを他方で取り返す――グローバル化とはそういう時代なのかもしれない。