金融市場が実体経済を反映する
プリンストン大学での一日
昨日はプリンストン大学東アジア研究所のセミナーにゲスト・スピーカーとして参加し、財務省から教えに来られている内藤純一教授の一連の講義、「1990年代後半以降の日本の金融危機と経済の構造的変化について」を聴講している学生たちに、過去20年にわたる日米資本市場の変遷について私の個人的体験談を踏まえてお話した。
プリンストン大学のキャンパスは実に美しく、学級的な雰囲気がある。残念なことは、多くの学生は中国への関心が高く、私が20年前にジョンズホプキンズ大学院SAIS(School for Advanced International Studies)にいたころと比べて日本への関心は愕然とするほど低くなってしまった。
SAISに入った1986年夏に、私はリビジョニストとして名をはせたクライド・プレストヴィッツのリサーチ・アシスタントを努めた。当時は現NY連銀のプレジデント、ティモシー・ガイスナーやブッシュ政権下の東アジア地域安全保障専門家、マイケル・グリーンなど綺羅星のような人々が、SAISで日本について真剣に勉強していた。当時の日本は世界最大の債権国で日米貿易摩擦の真っ只中にあった。「ジャパン アズ ナンバーワン」や「Noと言える日本」など、今ではなつかしい昔話のようだ。
さて、内藤教授は大蔵官僚として多くの金融危機の処理を担当された。その経験と理論的枠組みは、『戦略的金融システムの創造』に詳しい。教授の講義では、この力作にさらに最新のデータを加え、日米の銀行業務における収益構造の比較などを行っている。内容は学部にしては高度であるが、プリンストンの経済学専攻の学生たちはちゃんとついてきている。このクラスの学生の多くはウォール街の投資銀行に就職が決まっている。
景気がよいと株価が上がるなど、通常は実体経済が株式市場など金融市場を反映すると考えられてきた。しかし、実学の点からみて今はそれが完全に逆になっている。米国経済について語るとき、「金融市場が実体経済を作り出している」という事実は動かしがたい。
さらに、一国の国民経済の枠を超え、グローバルマネーがその国の資本市場に流入するとき、たとえ金融引き締めを行ってもその効果は薄まってしまう。たとえば、米国にはドル資産での運用収益を求めるグローバルマネーが流入し、住宅や不動産、株価などの資産価値を高めている。こうした資産インフレが起こっている状況下、バーナンキFRB議長が利上げをしようがしまいが、金融政策の効果は薄まってしまうのである。
一般に報道されているように、米国経済は堅調に見える。商務省の発表した3月の個人消費は前月比0.6%、住宅の改装など建設関連消費も0.9%伸びている。おそらく5日に発表される4月の雇用統計も前月を上回るよい数値になると予想される。FRBは10日の公開市場委員会では政策金利を5%まで引き上げ、6月にさらに利上げし5.25%のレベルで一時利上げを中止すると、マーケットは予想している。ただし、「一時停止」であり、再び利上げモードに踏み切る可能性は高い。その時期が中間選挙をまたぐかどうか。
じっさいの国際金融は地政学上のリスクにさらされている。ドル安、金価格がオンス当たり670ドルと高値を更新、イラン情勢から原油は75ドルに接近、さらにボリビアでの天然ガスの国有化。
金融資産がGDPに占める割合が増えるにつれ、地政学上のリスクにさらされる度合いはますます増幅される。内藤教授の試算によれば、日本一国の金融資産はGDPの11倍、米国は9倍弱(2005年の数字)と、日本のほうが国際的な危機への露出度は高いのである。
もうひとつ重要な要素は、一国の流動性創出度(銀行などの貸し出しによる信用供与で、すべての預金を通貨とその他の流動性で割った数字)である。米国は融資などによる信用供与の度合いがじつに日本の三倍近くある。これが、エネルギー資源価格が高騰しても、借金に借金を重ねても一向に落ち込まない米国の個人消費を支える「打ち出の小槌」の実態である。
米国では個人消費がGDP決定要因の三分の二を占め、株式市場にも影響を及ぼす。そして、じつに個人消費は過剰流動性をもつ金融市場に支えられ、個人は年金や資産を株や債券で運用し、せっせと金融市場に金をつぎ込んでいる。企業が借金して自社株を買い占めて、株価を吊り上げるのと同じようなものだ。このゲームプランは株価至上主義が続く限り、米国民そして米企業のために存在価値がある。
このような国民経済の体制が国民生活に大きな支障を与えないかぎり、国民はこのゲームプランを認め、現政権の正当性を支持するだろう。しかし、エネルギー危機、社会保障制度のほころびなど、不安要因はいくつもある。しかも、不安要因は不安定な国際情勢ともっとも緊密に関係している。もっともそうした情勢を作り出している張本人というか、「諸悪の根源」が米国の外交政策ともいえるのだが。