復興の精神的主柱とは
テレビ報道で松本復興大臣の言動をみると、「がんばろう、日本」が虚しいスローガンに聞こえる。いち早く被災地を訪問され、被災者の皆さんと膝を付き合わせ、同じ目線で励ましの言葉をかけられた天皇皇后両陛下のお姿が思い出される。「日本人の復興を精神的に支えられるのは両陛下なのだ」と強く感じた。
両陛下が国民と苦難を共にされる、国民の苦しみを理解し、寄り添ってくれるからこそ、被災された皆さんは生きる力を取り戻そうとこころを強くしたのだと思う。政治家があそこまで劣化してもなお、日本人が復興したいと願う根幹の深いところには、やはり両陛下という存在があるのだろう。
7月3日のNHK日曜美術館で、東北被災地出身の作家、佐伯氏が「パッションPassion」について興味深いことを語っていた。パッションとは「受難」と「情熱」あるいは「熱情」の意味がある。
人は何も悪いことをしていないのに、ある日突然、予想もしない恐ろしい苦難にあうことがある。震災や津波、原発事故で平穏な生活を根こそぎにされ、家や土地、財産そして親しい人たちを失い、体内被曝を受け、この先生きていく限り、肉体的にも精神的にもあらゆる困難がつきまとう。被災地の皆さんは、心がつぶれそうになるようなこうした苦難を受け止め、生活を立て直し前進する意味や希望を見出さなければならない。
人は苦難を受け入れるときに、その意味を推し量り、将来の困難に立ち向かうとき意味を見出そうとする。「苦難の先に希望がある」という確信が持てなければ、押しつぶされて、困難を克服して生きていく力を保つことはできない。あらゆる葛藤を受難(=パッション)として乗り越え、情熱を持って生きる(=パッション)力がなければ、日本は、日本人は復興することはできない。
私は20年近くを米国で過ごした。ニューヨークで2001年に9・11(同時多発テロ)を体験した。未曾有の危機に立ち向かう時、その国の国民の気質が垣間見える。当時の米国では、キリスト原理主義がイデオロギーとして政治的にも利用された。日本の3・11は外へ向かう戦争ではない。むしろ自らを改革する「内なる戦い」であり、その意味で歴史的にみると幕藩体制が崩壊し、明治維新へと向かった幕末の日本に近いのだろう。
21世紀のグローバル化の時代、日本がオールジャパンとしての精神的な対抗原理をどう見出すのか。そのヒントを得ようと、私は内村鑑三の『代表的日本人』を読んでいる。その第一章が西郷隆盛についてである。西欧の基準から見ると無宗教の日本、その精神的支柱となるのは何か?武士道か天皇制か、あるいは、国を失っても世界のユダヤ人が守り抜く戒律と強さに満ちたユダヤ教のような宗教があるのか?地震と原発事故で国が滅んでも、日本国民は世界精神として何を残せるのか?