書評:『サムスンから学ぶ勝者の条件』たちばな右近 著
韓国とサムスン――国家と企業という観点から、グローバル化をひたすら走るサムスン、そしてかつての高度成長の栄光を失いガラパゴス化する日本の大企業。この違いはどこから来るのか?
著者は、1972年に東芝入社、映像商品技術グループ長を務めた後、2002年にサムソン電子に入社。デジタルメディア社の常務取締役となり、その後2009年に中国BOE社非常勤役員CTO兼務という経歴である。まさに日本・韓国・中国の企業の経営幹部として現場を渡り歩いた経験を持つ。著者の言葉には実体験の裏付けがあり、真に迫るものがある。
周知のとおり、韓国は1997年のアジア危機で経済状況が悪化し、デフォルト寸前でIMFから救済を受けた。この屈辱的な体験から、韓国は国と企業が力を合わせてグローバル化の中で生き残るための大戦略を立て、必死の思いで実施した。外交では米国との関係を深め、経済では思い切った集中と選択を行っている。具体的には国内の優秀な人材をサムスンとLGが代表する大企業に結集させ、両社ともに米国流の経営を取り入れ、世界戦略を旗頭に競争力を高めている。
著者は、具体的な事例を挙げて、日本企業とサムスン電子との力の源泉を分析し、日本企業がなすべきことは何か、競争力を復活するにはどうすべきかを進言している。その中で、特に興味深いのは、経営トップの力量と従業員へのインセンティブという指摘である。
著者は、イ・ゴンヒ会長と行動を共にし、彼こそ本物の経営の専門家であり、戦術家であると述べる。そして、「経営の根幹を司るのは、経営トップであり、トップマネジメントの力量がすべてなのである。そのトップの思いが企業を動かし、利益を生み、株主や従業員へ還元されている」と語る。サラリーマン社長の多い日本企業と比べると、トップの力量の差は歴然としている。サラリーマンが経営者になって大成した例はほとんどない。
トップマネジメントとは、起業家としてのマインドを持ち、自ら率先して事に当たる。何よりもビジョンを創り、戦略の策定、投資効果の判断、リスクの決断、企業の命運を担う。そして、トップは従業員に対して成功へのインセンティブを与える。サムスンの場合、利益に貢献したものには厚い報酬が待っている。事業責任者に至っては、自らが達成した事業利益の最低1%以上が報酬として年俸に加えられる。さらに役員になれば60ものインセンティブ特権が与えられる。実力を発揮すればトップが必ず報いてくれるという信頼がある。この点が、リストラの口実として形ばかりの成果対報酬制度を敷いた日本と大きく異なっている。
日本企業が自社の技術が一番と思いこみ、島国特有のガラパゴス化が進んでいる間に、韓国企業は世界を目指す。とにかくトップの行動をみると、サムスンのトップは土日も休まず、技術開発に関する会議や戦略会議に必ず毎週参加している。このように、サムスンでは上から下までモーレツ主義である。
ただし、日本のように忠誠心を示すために長時間働くというモーレツ主義ではない。韓国では徴兵制での訓練後25歳で入社してから40歳までに社内教育で鍛え上げられる。そして、事業責任者に対して権限の移譲もある。企業の利益になれば厚遇され、そうでなければ冷遇される。合理的な実力主義である。企業は家族のような共同体ではなく、あくまでも収益を追求するメリハリの利いた機能集団なのである。
総じて、韓国や中国と比べて、日本はグローバル化の21世紀をどう生きてゆくのか、国としての大戦略を欠いている。著者が指摘するように、日本人の物づくりの能力の高さは、技術-商品-経営という現場主義が絶対視された右上がりの高度成長期には、素晴らしい成果を上げた。しかし、今はトップが方向性を決めて、経営-商品-技術というスピード経営で競争力を持続的に高めていかなければならない。
翻って日本においては、トップのビジョンと存在意義が求められている。日本の起業家が世界に羽ばたくか、そうでなければ、日本に残された道とは、中国や韓国のトップのもとでモノづくりに専心するというアジア地域における分業による協業体制に下請けとして組み込まれるしかなさそうだ。