グローバルストリームニュース
国際金融アナリストの大井幸子が、金融・経済情報の配信、ヘッジファンド投資手法の解説をしていきます。

日本の政局の行方

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私の日本再生のシナリオ

「テロルとクーデターの予感」を読む。佐藤優氏の発言はじつに冴えている。民主党が政権交代を目指し、勢力を伸ばしているというニュースが毎日伝えられる。仮に民主党が政権を担えば、このテロルとクーデターの予感は現実味をおびそうだ。

世界金融危機の影響は、バルカン諸国、アイルランド、ハンガリー、ギリシャなど、銀行制度が脆弱で輸出産業依存型な経済構造を持つ国々では特に深刻であり、政治不安も広がっている。日本も輸出産業依存型という点では類似しており、景気後退に出口が見えなければ、民主党が政権をとっても、失業の増加は止まらず、政局も揺らぎ続けるだろう。

「新しい革命は新しい恐慌につづいてのみ起こりうる。しかし革命はまた、恐慌が確実であるように確実である。」(カール・マルクス)

私はマルクス主義者ではないが、マルクスの歴史観には興味を抱いている。米国ではリーマン・ショックの直後、金融恐慌の可能性が一気に高まるタイミングで、若きオバマ氏は「チェンジ(変革)」を訴え、大統領に当選した。若い黒人のマイノリティが世界のトップに躍り出た。キング牧師の公民権運動のころには黒人大統領の誕生など誰もが実現不可能と考えていた。これまで歴史的に抑圧されてきた者が支配階級にのし上がる。まさにマルクスの言う革命であろう。

今マルクスとエンゲルスが生きていたら、嬉々として「新版 共産党宣言」を出版しているかもしれない。今回の金融危機はグローバルな下部構造(経済体制)を根底から揺さぶり、上部構造(政治体制)も揺るがし、革命を起こした、これは歴史の必然だ、資本論の預言のとおりだろう、と誇らしげに訴えていることだろう。

世界経済も日本経済の先行きについても、景気回復の前には一段の実体経済の悪化が予想される。世界同時恐慌となれば、日本の政治体制の変革も確実となるだろう。それは自民党支配の終わりなのか。日本で起こりうる革命とは何か。日本の政治体制の正当性のあり方が根本から覆される革命はありえるのか。そうであれば、その御旗はどこか。誰が革命の主体となるのか。

「日本は資本主義体制においてもっとも成功した共産主義社会であり、中国は共産主義体制においてもっとも成功した資本主義社会である。」(霞ヶ関の某高官)

日本と中国では、建前と本音で資本主義と共産主義に使い分けながらも両者は実質的には融合して機能している。この皮肉な現象は周知の事実ではあるが、現役の霞が関高官の発言となると重みが違う。

ベストシナリオは、共産党が「共産主義は歴史的役割を果たしたので、緑の党と名前を変えます」という日本版「共産党変更」を行い、自民党とともに「新日本党」を結成する。新日本党は日本の再生のために以下の政策を実施する、① 中央政府としては「夜警国家」に徹し、② 道州制を敷き、地方分権を進め、同時に、③ セーフティーネット完備という社会契約を守る。御旗は「基本的人権」、「民主主義」、そして「市場経済」である。この三つを掲げれば、日本は欧米など世界から袋叩きにあうことはない。しかも、日本国憲法という平和憲法があり、主体は国民と明記されている。

自民党と共産党はイデオロギーの上で右と左の両端で対立しているが、いったん協力関係ができればじつに補完的な役割を果たし合える。両者が協力して新党を結成すれば、民主党をはじめとするイデオロギーや政策において中途半端な野党よりもずっと強いリーダーシップを発揮できる。

新しい日本を築くという共通の目的を果たすためには、自民党も共産党も共にこの内なる自己改革なしに先へ進むことはできない。まず共産党は「共産主義は歴史的役割を終えた」という認識に立つ。そして、自民党は無能な政治家が中央官僚に依存するだけの「官僚支配」体制に終止符を打ち、道州制の導入と共に地方分権の主体を共産党に委託し、中央政府として安全保障や外交、国防に専念するいわば「夜警国家」となる。この2点について詳細を後述する。

2008年最後の日曜日の午後、私は日比谷を歩いていた。突如、銀座方面に向かう前方の買い物客の間から「プロレタリアートってさぁ...」という話し声が聞こえた。え!プ、プロレタリアートなんて何十年ぶりに聞いた言葉だろうか。30代思しきおしゃれな女性たちは最近読んだという「蟹工船」を話題におしゃべりしながらウィンドーショッピングを楽しんでいる。

私が大学を卒業した当時、経済学部にはマルクス経済学(マル経)と近代経済学(近経)の二大勢力がしのぎを削り、剰余価値説と資本論はサミュエルソンの経済原論と同じくらい重要だった。その後、私はニューヨークで暮らすことになったのだが、米国ではカール・マルクスよりも喜劇俳優「マルクス・ブラザーズ」のほうが有名だったのにはショックだった。そんな米国で今や、マルクスの歴史法則が現実となった。そして、これからすべてのパラダイムが変わろうとしている。しかも急激に。

21世紀に生きる私たちにとってマルクスはどのような意味を持つか。19世紀のグローバル化が進行した時代に、マルクスは経済・金融の動きをみつめながら資本主義の原則と法則を見出そうとした。当時の大英帝国は植民地経営という形で覇権主義を実践していた。マルクスは経済記者のように目の前の取材に追われながらも、大英博物館で学問に打ち込み、経済学(資本論)、哲学・歴史学(ヘーゲル法哲学批判)、政治学(階級闘争)、社会学・心理学(疎外論)など社会科学全般にわたり多くの業績を残した。

翻って私たちの生きる21世紀最初の10年で、世界は革命的な変化を遂げた。その変化の中核を成すITとグローバル化という現象を、気鋭のジャーナリスト、フリードマンは「フラット化する世界」に描き出した。インターネットを通して人々は瞬時に世界中の出来事を知り、自由に意見を発信し合う。そして、ネット上で自分と同じ考えの人たちと巡り合う。お互いの議論が進んで問題意識を共有し、すばやく民意を形成することもある。その結果、物事の波及の速度もインパクトも増し、その範囲も拡大してゆく。

民主主義が確立する以前の歴史を振り返ると、知識や情報は支配者が権威を操る道具として独占し、被支配者へは情報へのアクセスすらなかった。IT革命によって、一般市民は政府と同じレベルの情報すら共有できるようになり、さらにグローバル化によって「世界市民」こそが民意形成の主体となってきている。この現象が地球規模での民主化を押し進め、政府は政策決定に素早い決定と執行を求められている。

また、国際政治経済の観点から見ると、21世紀の最初の10年間は、「グローバル・スタンダード」が「米国覇権主義」をあまねく世界に進める牽引力となった。ちょうど19世紀の自由貿易主義が英国の植民地支配による世界覇権のイデオロギーとなったように。

具体的にはITバブル破綻後、米国の消費者は世界の生産需要を作り出した。とりわけ中国からの安価な輸入品を吸い上げ、中国を「世界の工場」に押し上げた。その他の新興諸国もまたグローバル化の恩恵を受け、経済成長を遂げた。

こうした世界的な好況と経済的な繁栄は新興諸国に国富を創り出したが、同時に貧富の格差をもたらした。マルクス経済学でいう資本家階級と労働者階級への「両極分解」である。そして、資本家は労働者を搾取し、ますます富み、労働者はますます貧困にあえぐ。マルクスによれば、両者の階級対立は恐慌期に先鋭化し、階級闘争に発展する。闘争の結果、これまで支配され抑圧されてきた労働者階級が政治的な支配者になる。いわゆるプロレタリア革命が成就する。

グローバル化が進むにつれ、企業は国内のみならず世界規模で熾烈な競争に巻き込まれてゆく。マーケットシェア拡大のために価格上昇が抑制され、収益の圧迫から労働コスト削減は企業にとって必須となり、日本でも非正規社員、いわゆる「フリーター」に代表されるように「自らの労働力を売るしかないプロレタリア」が出現した。フリーターは低コストの労働力として好況時には重宝がれるが、景気が悪化すればまっさきに解雇の憂き目にあう。失職すれば薄氷踏む思いの生活基盤が壊れ、住居を追われホームレスになってしまう。

労働力以外失うべき何物も持たない労働者。彼らはどんなに努力しても資本家の搾取から逃れられない。その生活を描いた「蟹工船」が日本でベストセラーになっているが、おそらくフリーターの人々は「蟹工船」で搾取に苦しむ労働者階級に自分自身を重ね合わせる。蟹工船は日本だけの現象ではない。この現象もまたグローバル化している。

ギリシャでは学生デモがエスカレートし、パリでは2百万人もがゼネストに参加している。世界同時不況で多くの失職者が町にあふれ、パンを求めるプロレタリアートが社会不安を募らせ、マルクスの亡霊は「グローバルなプロレタリアよ、団結せよ」と扇動する。将来の社会保障に不安を抱えた失業者や高齢者、セーフティーネットから落ちこぼれた労働者たちが街に出てデモを繰り返す。だが、21世紀のプロレタリアは団結したものの、いったい何を目指せばよいのか。

マルクスの生きた19世紀終盤、まさに産業革命が列強の「帝国主義」という形でグローバル化を推し進めた。当時、マルクスは体制反対のデモは既存の体制を打ち倒し、革命が起こり、資本主義の崩壊を期待した。そして、より人間的な社会体制である社会主義そして共産主義を打ち立てることを願っていた。今や、マルクスの言う「資本主義の最後の鐘が鳴る」時が来るのだろうか。

20世紀の歴史上、「プロレタリア独裁」の政治体制を振り返るとじつにぞっとする。スターリンや毛沢東、クメール・ルージュなど社会主義や原始共産主義を掲げた恐怖政治がいかに人権を抑圧し、自国の民を抹殺したことか。我々はこの悲惨な歴史的事実を知っている。プロレタリア独裁という歴史上の実験は、1989年のベルリンの壁とともに崩壊したのである。20世紀の歴史はマルクスの期待通りに行かなかった。

また、経済史を振り返ると、金融恐慌が起こったからといって必然的に資本主義が倒れることはなかった。資本主義は修正を加え、進化し、生き残ってきた。そして景気循環を生き残ったものが資本主義体制をさらに強い体質に内側から変えてきたのだ。

たとえば、最近では建設技術が進み耐震性を強め、大地震が起きてもビルの崩壊を防ぎ、被害は少なくなった。また被害があっても各国が援助物資を送るなど連携を深め、人的被害を最小限に抑えられるようになった。同様に、2008年9月以降の金融危機はマグニチュードでいえば1929年の大恐慌並みだが、各国は協調して利下げや量的緩和により必要な資本注入を行い、大恐慌を未然に防いだ。

企業はグローバル化し、自由競争に生き残りさらに景気循環の波を乗り越え、恒常的に経営を効率化している。一方、国家は国民を守るため社会保障・福祉を重視した社会主義へ重心を傾けつつある。経済金融はますます国際化し、世界はひとつの大きな資本主義市場と化している。そして、国民の生活も国際的な景気の影響を直に受けるようになってきた。そのため、国がセーフティーネットをしっかり確保しなければ、人々の伝統的な家庭生活も社会の仕組みも景気の荒波にさらわれていってしまう。

企業と国家、この二つの軸を中心に日本再生のシナリオを考えてみよう。企業の国際競争力を高めるためには、政府は企業に対して余計な規制をかけることなく、「夜警国家」に徹する。

夜警国家とは、政府の役割を夜警のように夜回り(外交と軍事)のごとく最少とし、経済活動に口出しせず、市場は企業の自由競争にゆだねるべきだというコンセプトである。21世紀の夜警国家のイメージとしてはシンガポールのように小さくて効率的な政府であろう。

じっさい、日本企業が自由競争を勝ち抜いて日本のブランドを高め、世界で稼ぎ、そして法人税を納めてくれることで国富に貢献してもらうほうが、国民の利益になる。しかも、国内の一部の利権関係者が規制で守られているよりもずっと健全かつ透明性が高く、よって国民の支持を得やすいのだ。

国内向けには、国民の満足度を高めるために地域に根差した「ご近所の底力」を活用し、直接参加型市民政治にシフトすべきである。これは、道州制導入の理念的バックボーンとして、中央官僚から地域政治を取り戻すという観点からも望ましい。道州制導入後は各地域でタウンミーティングを活発に行い、市民参加が地方政治に緊張感を与え、市民の声を反映できるよう地域政治を内部から変えてゆく力になるだろう。

こうした草の根的な地域社会の組織化を進めるには、先に述べたように、自民と共産党が協力し、「新日本党」を結成する。そのさい、日本共産党はイデオロギー色を落とし、「緑の党」とか名前を変えておく必要がある。歴史上共産主義は死に、共産主義の正統性は消滅した。新たなコンセプトとスタイルを打ち出すのによい時期である。

従来、自民党は日本社会の農村部で旧い地縁的な利害やボス支配を利用してきたし、共産党は農村から都市へ出てきた労働者へ支援の手をさしのべてきた。この補完的役割は形を変えて存続しうる。共産党は「緑の党」となって過疎農家の高齢者を中心に「ご近所の底力」を地方政治に反映すべく草の根的な組織運動の役割を担う。

組織にオルグの対称は、地域に根ざした高齢者である。高齢者はただ税金を食いつぶすだけの厄介者ではない。日本の伝統を知る高齢者は「オらが町」に貢献してもらう宝である。戦後経済的に豊かになった日本、その礎を築いた戦中派そして団塊の世代がリタイアするにつれ、企業から社会へと人材が移転してくると考えたほうが良い。さまざまなキャリアを積んだ人材が知恵を出し合えば、日本はより自律的な市民社会になれる。その大儀のために道州制導入は役立つのである。

そのうえで中央政府が国内向けにやるべきことはセーフティーネットの確保である。「人間としての尊厳」を保障するはずのセーフティーネットの適応される範囲が狭められ、本来保障を必要とする社会的弱者や高齢者は最低限ぎりぎりの生活を余儀なくされている。本人がどんなに努力しても社会体制のせいで貧困がどんどん深刻になる。これでは、憲法で保障された「人間として基本的な権利」を守るという社会契約を現政府が履行していない、あるいは履行する能力を欠いていることになる。

憲法に保障された権利を国民が行使できないとなれば、税金を納めるなど国に対して異議申し立てとして、そんな政治体制は覆すべきである。これが政権交代で起こるようになればしめたもの。日本版永久革命のメカニズムが作動し始める。米国の大統領制のように4年おきに政権が交代すれば、利権やしがらみなど附着し難くなり、政治権力の腐敗に歯止めをかけ、既得権益のどろどろした体質が改善され、体制の硬直化を防ぐことができる。

政権交代は、政策プロセスの透明性を高めるため、いっそうの市民参加を促し、その結果、効率的な施行が可能になる。これこそ憲法の精神の実践であり、民主主義の基本的行動パターンである。

危機のさなか、人々はこれまでの体制が旧態依然としたものだと気付いている。マルクス主義のテーゼでは恐慌は革命への序曲である。既存の下部構造(経済体制)の破たんは必ず上部構造(政治や社会体制)に異議申し立ての運動を引き起こす。そのような変革とは、戦争やテロなど暴力的な破壊行為を含む革命なのか、単に静かなスピリチュアルなエートスや理念のレベルの話なのか。この上部構造の変革もまた、世界同時多発的に起こるだろう。この変革はまた、社会や家族、その最小単位である夫婦、男女関係の在り方などあらゆる既存の概念や意識に及ぶだろう。

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