2000年春に起きた巨大ヘッジファンド崩壊の真相
2006年12月、クアラルンプールで採取産業透明性イニシアティブ(EITI)について話すソロス
(出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%82%B9)
優秀なヘッジファンドといえども、一歩間違うと大きな痛手をうけます。投資を考える上で、ヘッジファンドの過去の事例から学ぶことが沢山あります。2000年春に起きた巨大ヘッジファンドの崩壊事例を元に、全4回に分けて、それまで優秀なパフォーマンスを上げていたヘッジファンドが崩壊したのか、ヘッジファンドが抱えるリスクについて説明していきます。
目次
市場拡大が裏目に
1992年秋、ジョージ・ソロス氏のクオンタム・ファンドが大量のポンド売りを浴びせ、ポンドをEMS(欧州通貨制度)離脱に追い込んだ。この英国中央銀行の敗北は、ヘッジファンドの脅威を世界中に見せつけた。
それから8年、ヘッジファンドの市場は急拡大。正確な統計はないが、92年当時、500億㌦にも満たなかったと思われる市場規模は、3000億㌦から5000億㌦、ファンド数は4000ともいわれた。
だが、2000年春、ジュリアン・ロバートソン氏率いるタイガー・マネジメントは廃業、ジョージ・ソロス氏の右腕といわれたスタンレー・ドラッケンミラー氏がクオンタム・ファンドの運用責任者を辞した。
これまでも97年のアジア経済危機、98年のロシア危機によって引き起こされた市場の流動性の現象、信用リスクの増大などの流れを読み間違え、崩壊したファンドはある。98年のロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)の破綻は記憶に新しい。今回も1999年後半以降のハイテク株隆盛の株式市場の流れを読み間違えたのが直接の原因だ。しかし、その背後には巨大ファンドゆえの要因が隠されている。
運用額が巨大になったがゆえに、ヘッジファンドの持ち味である機敏な運用ができなくなった。それを回避するために、他のファンドマネジャーに資産を分散して運用を委託するのだが、優秀なマネジャーはすぐに独立してしまう。この結果、高収益を上げれなくなってしまったのだ。ロンドンでヘッジファンドの実態を検証した。
2000年の春、ヘッジファンド業界を代表する二つ巨大運用会社に異変がおきた。ジュリアン・ロバートソン率いるタイガー・マネジメントは三月末でファンドを手仕舞いした。また、ジョージ・ソロスが統括するソロス・ファンド・マネジメント(以下、ソロス・マネジメント)も、 クオンタム・ファンドの運用責任者スタンレー・ドラッケンミラーとクオータ・ファンドの責任者ニック・ロディッチが2000年4月末をもって退くことを発表した。
ハイテク株、インターネット関連株などいわゆる“ニューエコノミー”銘柄が隆盛を極める中、彼らが得意とし、現に国際金融の舞台で華々しい業績を上げてきたグローバル・マクロ(世界のマクロ経済の動きに着目し、そこに生じた為替・金利市場のひずみや経済実態の乖離に投資して利益を上げる)の投資スタイルでは高収入を上げられない状況が続いた。これが二大ファンド崩壊の直接の原因である。
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