グローバルストリームニュース
国際金融アナリストの大井幸子が、金融・経済情報の配信、ヘッジファンド投資手法の解説をしていきます。

ウォール街はパーリア・キャピタリスムから復活できるか

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先日、ピーター・バーンスタインの最後の著作『Capital Ideas Evolving(邦訳)アルファを求める男たち』(東洋経済)について友人で運用者でもあるHさんと歓談した。

私たちは近代経済学の前に、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」や大塚史学、経済学説史があることを認識し合った。
2008年のリーマン・ショックと金融危機の後、ウォール街は強欲資本主義の権化、諸悪の根源のように報道されているが、私が初めてウォール街を訪れた1985年以前は正統なメインストリームとして、支配階級WASPの雰囲気があり、強欲というか賎民的(パーリアな)感じはなかった。ゴールドマンサックスでさえ「あれはユダヤ系」と、マイノリティの位置付けだった。

今や、リーマンを始め多くの投資銀行が店じまいした。それでも淘汰の嵐の中を生き残り、昔ながらのプリンシプル(運用哲学・原則)に徹し、優れた実績を上げている運用会社がある。H氏はこうした運用会社は実際に1929年の大恐慌以前に設立された事実を指摘し、「Back to the Basics」と称した。私はその意味を本来のメインストリームというか、あるべき市民社会の健全な資産運用に戻るときが来たのだと理解し、我々の認識は一致した。

ウォール街について思いを巡らしていると、2009年5月1日にアルバート・ゴードンが107歳で亡くなったという半年前のニュースを思い出した。1901年7月生まれのアルバートは1929年から始まった大恐慌とリーマン・ショックに端を発した今回の金融危機を体験した、稀有のウォール街の大物だった。

金融のメカニズムでは、人が創り出す信用のネットワークがキーである。信用創造のネットワークの上を資本が動き、商流を作り出す。その意味で、強欲資本主義はウォール街の人々の信用、絆そのものを破壊してしまった。アルバートの死は、まさに古き良きウォール街の終焉を象徴していた。

アルバートのサクセス・ストーリーは1920年代の大恐慌に始まる。彼の人生最大の好機は1929年の株価暴落だった。その直前に売りぬけ、キャッシュを手にしていた彼は、友人二人と協力して破綻に追い込まれた投資銀行キダー・ピーボディを買取った。そして、アルバートたちはキダーを再生させ、ウォール街屈指の投資銀行に育て上げた。キダーは1986年にゼネラル・エレクトリック(GE)に売却されたが、その後もアルバートはウォール街トップの投資銀行家として金融界に君臨した。

アルバートの人脈は金融と政界をくまなくカバーしていた。当時コネティカット州選出のプレスコット・ブッシュ共和党議員(ジョージ・ブッシュの父、先のブッシュ大統領の祖父)やオキシデンタル石油のハマー氏と長年の友情を築く一方、ライバルのゴールドマンサックス元会長ホワイトヘッド氏とはしのぎを削った。

アルバートのようなウォール街の先輩は、たいていアイビーリーグ卒でWASPのコネクションで繋がった「オールド・ボーイズ」だった。彼らは決してカネに目がくらんだ物欲のかたまりではなく、社会的エリートとしてのノブレス・オブリージュやプロテスタント的倫理を身にまとっていた。アルバートもそのひとりだった。

ハーバード大学時代からマラソン走者だったアルバートは、いつも歩いてオフィスに通った。出張のフライトは常にエコノミー・クラス。部下がファースト・クラスにいるのを見つけると「そっちの機内食はどうだい?」と尋ねたという。そして、年に一回だけシャンパン・グラスを傾けたというのだが、そのシャンパンは高級ブランドでなくともさぞかしおいしかったのではないだろうか。

どのように振り子が振れても、米国にはあるべきプリンシプル(原則)へ戻るという可能性というか希望がある。ウォール街が賎民資本主義と一線を画すには、本来のプリンシプル復帰が望まれる。

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