K: 大井さんはウォール・ストリートでキャリアを積まれて、その後ニューヨークでSAIL社を起業されました。その辺のいきさつをお聞かせ願えますか?
大 井: 1989年12月に日本のバブルが最高潮に達し、その翌年にバブルが破綻し、1990年からは「失われた20年」が始まりました。ウォール街もまた 日本からの投資で潤ってきましたが、1991-2年には米国に投資されていたお金が日本へ戻っていってしまいました。その影響で、ウォール街の日本相手の 商売もしぼんで行きました。会社の中でもジャパン・デスクの領域は少なくなり、代わりに中国や今で言う新興国地域の専門家が増えてきました。日本の存在感は薄れ、「ジャパン・パッシング」が恒常化したのです。
そのころ、IT革命が本格化します。通信技術の進化で、誰でも安いオンライン・トレーディングのツールを持てるようになってきました。以前なら、値の張るロイターやテレレートの端末などは大きな会社のトレーディングフロアでしか導入できなかったんですが。
それが誰でもパソコンでできるようになってきました。独立してやろうと思えばやれるインフラが整いつつありました。
そんな中で、ウォール街の知人の多くも独立して、自分でヘッジファンドを始めた人もいました。
そんな人たちから、ジャパンマネーを集めてくれと頼まれ、自分も独立してやってみようと思ったんです。
それから私の友人知人が運用するヘッジファンドを調べて、書き溜めていたんですね。東京に出張した際に、東洋経済の記者の方に身の回りのヘッジファンドの話をしたら、スゴく面白いとわかってもらえて、記事を連載をすることになりました。
「草の根ヘッジファンド」というタイトルで、1998年のロシア危機に遭遇しながらもヘッジファンドの最前線について連載しました。1999年には連載をまとめた『ヘッジファンドで拡大する私募金融市場』を出版しました。
私 もIT革命の恩恵を受けました。ヘッジファンドについてニュースレターをオンラインで配信し始めました。今で言うメルマガですね。そのための会社、 Strategic Alternative Investment Logistics (通称SAIL)をニューヨークで立ち上げました。SAILでは、HedgeFund.Net社と提携してヘッジファンドを中心としたニュースサイトを運 営しました。2002年にはヘッジファンド情報を、SAIL TVではインタビュー動画をニューヨークから多くの日本の皆さんに配信していました。YouTubeのない頃ですから、先駆的で、当時としては革新的な サービスでした。
K: 大井さんが、そこまでヘッジファンドに魅了される理由をお聞かせ願えますか?
大井: 「企業は人」といわれますが、事業は人がすべてです。ヘッジファンドでも人、運用者がすべてです。
ヘッ ジファンドは、新しいアイデアを持って起業する金融界のベンチャービジネスといえます。運用者は一生懸命創意工夫して、自分なりのファンドの運用手法を編 み出していく。例えば、みんなが買うものをどんどんショートしていく、普通のやり方と逆のことをやってみたり(コントラリアン)、人が見向きもしない割安 銘柄に投資したり(ディープバリュー)、確信を持ってリスクをとる人たちを正当に評価するのが、本来のマーケットなのです。
ヘッジファンドは金融界のベンチャーであり、
進んでリスクを取る分、成功報酬は当然大きくなります。
K: ヘッジファンドは金融界のベンチャーだったんですか。。あんまり日本ではそういった面は知られてない気がしますね。。どちらかというと、金の亡者、悪の権化みたいなイメージがあると思いますが。。
日本ではあまりヘッジファンドの存在を聞かないですが?
大井: 日本にも独立系ヘッジファンドは資金集めに苦労しましたね。
日本では戦後に大蔵省の護送船団方式で資本市場が統制されて来た時代が長く、リスクを見極める投資家が育って来なかったためです。
日本の優秀な運用者の多くが、日本を脱出してシンガポールで投資運用しています。彼らのなかには日本の投資家ではなく、欧米の年金基金や機関投資家などから十分な投資資金を得て、優れた収益を上げている運用者もいます。
K : ウォール・ストリートで20年以上過ごされたあと、日本に拠点を移されたわけですが、日本に帰ってこられて何か問題意識をもたれましたか?
大井: すごく持ちました。それが今年3月に「国富倍増」という本を出した理由でもあるんですが。
私は20年間ウォール街にいて、グローバル化を目の当たりに体験したのです。
まずIT革命があって、すごいITバブルがあって、バブルが破綻して、テロがあって、住宅バブルがあって、それが破綻して、リーマンショックがあって、こうした一連の凄まじい変化をみて、日本に戻ってきたんです。
そしたら、すごいカルチャーショックでした。日本はまだ江戸時代なんじゃないかと(笑)。
この社会の閉塞感は凄いと思いました。
私が1989年に日本の会社をやめて渡米した時は、日本はまだバブルで昇り調子でした。
「失われた20年」間は、日本に一時帰国したときには暗かったですね。電車にのっても、みんな静かで、顔の表情が暗くて。。ここは北朝鮮か、と思いました(笑)。アメリカとか地下鉄でも、結構にぎやかですよね。
日本はデパートやお店でもたいていサービスはとてもいいですね。店員さんは丁寧なんですけど、形式的で裏で何いってるのかわからないみたいな妙な冷たさを感じました。
それにテレビをつけると、俳優も政治家も2世、3世ばっかりです。芸能界も30年前と同じような人が同じようなことをやっている。既得権益が目につきます。
そ れから、働き方が自由になったといっても、正規社員と非正規社員の身分の差があり、江戸時代の士農工商のようです。フリーターは実力があっても正規社員に なれないなど、身分で差別する。正社員は自分の地位を守るために現状維持を望み、変化をきらうでしょうね。どうもせこい世の中になっているなと感じまし た。グローバル化でますます縮こまって行く日本です。
どうしてこんな社会なのか、それを解明したくなって、金融の世界にいたので金融・経済の面から考えたんです。
アメリカでは自由な資本、資本の自由性が原則です。リスクを取り、変化を恐れない、それを前提に、人々は楽しく生きています。
でも日本は平和で物質的に恵まれた暮らしがあるのに、不安定で暗い。
日本の仕組みはどうなってるんだろう?仕組みを変えるにはどうしたら良いんだろう?と考えます。
アメリカの場合は、仕組みや責任の所在がある程度はっきりしているので、どこを変えればよいかわかります。大統領を変え、CEOを変えればかなりかわります。
日本が資本主義経済であれば、お金の流れが変われば、金融の仕組みが変われば、社会の仕組みや枠組みが変わって行くはずです。そういう思いで「国富倍増」を書きました。
日本が、リスクをとって頑張る人たちにリスクマネーを供給し、社会全体が活気づいて豊かになるためにはどうすればよいか? efficacyの高い若者に活躍の場がたくさんあり、機会に満ちた社会にするにはどうしたらよいか? そうした思いで書いた本です。
ウォール街から日本へ戻って来た時のひどいカルチャー・ショックが、私の問題意識の出発点なのです。
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