グローバルストリームニュース
国際金融アナリストの大井幸子が、金融・経済情報の配信、ヘッジファンド投資手法の解説をしていきます。

私募金融市場とヘッジファンドが拡大する米国の資本市場の歴史

「1998年ロシア通貨危機で起きたことと、それまでの流れ」を5回シリーズでお送りします。今回は第2回です。第1回は1.ロシア危機と「嵐の後」よりご覧になれます。

世界の金融市場がQEバブルで涌く中、確実にバブルの終わりはせまってきています。1998年に起きたロシア通貨危機によってマーケットはどう動いたのか、1990年代に大きく拡大したヘッジファンドはどうなったのか。過去の大きな危機から、これからのマーケットがどうなるかを考える際の一助になればと思います。また、4・5は当時の、実際のトレーダーに焦点を当てたコラムです。お楽しみに。

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目次

  1. ロシア危機と「嵐の後」
  2. 私募金融市場とヘッジファンドが拡大する米国の資本市場の歴史
    • ヘッジファンドとは
    • 次々と行われた法・税制面での抜本的な改革
    • ヘッジファンド拡大期に多様化した運用手法
  3. 金融危機に乗じるハゲタカ・ファンドの役割 (日曜1時更新予定)
  4. 金融危機を生き延びた者 (月曜1時更新予定)
  5. 金融危機に沈んだもの (火曜1時更新予定)

 

ヘッジファンドとは

ヘッジファンドとは、ある程度のリスクに耐えられる投資資格を満たす富裕層もしくは機関投資家のみに限定された私募の投資手段である。誰でも投資できる公募投信(ミューチュアル・ファンド)は安全運用を目指すため、ショート(空売り)、レバレッジ(借り入れによる投資)、デリバティブ(オプションなど金融派生商品)を用いることが法律上禁じられている。一方、ヘッジファンドは私募であり、法律上、自由に様々な技術を用いた投資戦略が可能である。そのため、下げ相場でも空売りで損失を抑えるなど、理論的には、相場動向に関係なくリスク調整後の高い運用収益を創出できる仕組みを提供する。

 

また、ヘッジファンドは、運用者が投資家と運命共同体を構成できるという点で、公募投信と決定的に異なる。ヘッジファンド運用者はゼネラル・パートナーとして運用の全責任を負い、自己資金を他の投資家とともに自らのファンドに投資する。法律上、リミテッド・パートナーシップ制度(LPS)ではヘッジファンド運用者に成功報酬を支払う仕組みが整備され、そのため、運用者には収益を上げようとするインセンティブが働く。それゆえ、ヘッジファンド業界は金融界で最も優れた才能を引き付け、革新的な投資技術を開発し金融の最先端を走ることができる。

 

歴史的にみて、ヘッジファンド第一号は、1949年にアルフレッド・ジョーンズが立ち上げた買い持ちと空売りを駆使した株式ファンドである。1966年に、フォーチュン誌がそのファンドの成功を大きく取り上げたことで、それまでは人目にさらされることのなかったヘッジファンドが急に脚光を浴びることとなった。そして、1966-69年には多くのヘッジファンドが誕生した。しかし、1969-70年、73-74年にはオイルショックを経て世界的な不景気で米国の株価は暴落し、その後10年はヘッジファンド業界にとって暗い時代となった。

 

次々と行われた法・税制面での抜本的な改革

1970年代には、リミテッド・パートナーシップ制度(LPS)が確立し、法的な突破口が開けた。それ以前の運用業務は1940年の投資会社法の下におかれ、運用者は固定給を得るサラリーマンにすぎず、成功報酬を得ることはできなかった。LPSによって業績に基づく給与体系が可能となった。LPSが整備されるにつれ、1970年代に米国ではベンチャー育成が始まった。新規事業の資金調達を行うベンチャー・キャピタル・ファンドの第一号は、ドナルドソン・ラフキン・ジェンレット(DLJ)証券の傘下にあったスプラウト社がその金字塔を打ち立てた。ハーバード経営大学院大学で学んだ三人の創業者の頭文字をとったDLJ証券自体、1959年に設立されたベンチャー企業であった。

 

しかし、LPSが確立したにもかかわらず、投資環境は悪化していった。1969年のキャピタル・ゲイン税率の急上昇に加え、従業員持ち株オプション執行時に多額の納税義務が発生する方向に税制が変わり、さらに1970年代半ばの不況とあいまって、ベンチャーへの投資は冷え込んだ。この時期、多くのLPSの資金は、新規事業の投資よりも、M&A(企業買収)やレバレジッド・バイアウト(LBO、買収先の資産を担保にした借金による買収)へ向かった。

 

そんな中、1978年にもうひとつの突破口が開かれた。米国の従業員退職所得年金法(通称エリサ法)の拡大解釈である。それまで、年金運用者がリスクの高いベンチャー企業へ公的年金を投資することは信託者としての義務に反すると認識されていた。しかし、1979年に、労働省はLPSへの投資はエリサ法に抵触しないと宣言し、エリサ法下にある運用資産をLPSに投資することを「セイフ・ハーバー」とする例外規定を設けた。この規定は、公的資金がLPSへと流入するきっかけを作った。

 

さらに、1980年に議会がスモール・ビジネス・インベストメント・インセンティブ法案を通し、優良中小企業に投資を勧誘する仕組みができ、さらに、年金基金が未公開株に流入する仕組みが整備された。さらに、1981年にキャピタル・ゲイン税率が最大49%から28%までに引き下げられ、1982年にはインセンティブ・ストック・オプション法が成立し、オプション執行時の税制面での改善が大幅に進んだ。

 

このように、法・税制面での抜本的な改革があったおかげで、新規事業に投資し大きなキャピタル・ゲインを狙うベンチャー・キャピタル、未公開株に投資し株式公開で収益を狙うプライベート・エクイティ、そしてヘッジファンドという私募金融市場への大量の資金流入が可能になった。そして、その基盤の上に、1982年から、レーガン大統領の指導下、金融規制緩和とインターネットなど軍事技術の民営化が推進された。私募市場の資金がハイテク産業などを中心に多くの新規事業を育成し、やがて、1990年代のIT革命へのつながってゆくのである。このように、米国では50年かけて試行錯誤を繰り返しながら、官民一体となって新しい技術と起業家精神を育てる仕組みを整備してきた。その温床となったのが、リスクを取ることを恐れない私募ファンドの運用者とその投資家たちであった。

 

ヘッジファンド拡大期に多様化した運用手法

1980年代初めころから、ヘッジファンド業界では、ジョージ・ソロスやジュリアン・ロバートソンのスター運用者の存在が知られるようになっていた。特に、1986年にインスティテューショナル・インベスター誌(機関投資家向けビジネス誌)がロバートソンのタイガー・ファンドを紹介し、その驚異的な収益を褒め称えた。おかげで、ヘッジファンドは多くの人々に知れ渡ることとなった。

 

そして、1990年代の特に後半は、ヘッジファンド業界の拡大期となった。IT革命こそが、その原動力となった。インターネットの発展は金融ビジネスを根幹から変えた。以前は機関投資家のみが購入した高額なリサーチや情報はタダのように流布され、オンライン・ブロカーの出現で証券取引のコストは軒並み下がった。また、それまで大型コンピュータを必要とした数量分析のシステムも、ラップトップPCにインストールできるほど安価になった。自己勘定トレーディングで活躍してきた運用者たちは、高価なディーリング・ルームのインフラを必要としなくなった。優れた運用アイデアがあれば新規に起業できる基盤が整備された。こうしたIT革命の成果を追い風に、1990年代後半は、多くの新しいヘッジファンドが誕生したのだ。

 

運用者が増えるにつれ、ヘッジファンドの運用手法も多様化していった。大きく分類すると、ヘッジファンドには裁定取引(アービトラージ、Arbitrage)とディレクショナル(Directional)とがある。裁定取引とは、株や債券など金融商品を同時に異なる場所で安く買い高く売る仕組みで、ヘッジの基本である。この手法を行う資産としては、株、転換社債、債券などがある。ヘッジの典型は、転換社債裁定取引で、転換社債の株式部分を空売り(ショート)、債券部分を買い持ち(ロング)する。また、株式によるレラティブ・バリュー方式は、基本的にロング・ショートを組み合わせることで市場動向と無関係のリターンを狙う。債券による裁定取引は、米国債、政府債、社債、モーゲージ債の信用格付けと利回りの不均衡な格差に注目し、わずかなスプレッドに大きなレバレッジをかける。M&Aによる裁定取引は、買収されて価値の上がる被買収企業をロング、買収側の企業をショートするポジションを取る。

 

ディレクションとは方向という意味で、市場や個別銘柄の上げか下げどちら一方の方向に動くかを予想してトレーディングを仕掛けるのが「ディレクショナル」である。ディレクショナルの運用者は、将来の市場動向、株価動向の予測のためにファンダメンタルズ(金利、GDP、失業率など経済の基本的要因)を研究する。債券・為替市場でのトレーディングでは、マクロ経済の動き、すなわちGDPや金利動向に目を光らせる。個別株であれば、その企業の財務内容・業績予想などから株価の動向を予測する。

 

一定の方向に市場もしくは株価が動くという予想に基づいてトレーディングを仕掛けるという意味では、一般のミューチュアル・ファンドもディレクショナルの部類に属する。ミューチュアル・ファンドは公募商品でロング(買い持ち)のポジションしか許されないが、私募商品であるヘッジファンドはショート(空売り)のポジションも可能である。例えば、A株が割安でB株が割高という想定が分析結果として出たとする。ディレクショナル・トレーダーは、A株が上がりB株が下がると予測のもとに、Aをロング、Bをショートする。予想通りに行けばAとBと両方で儲かる。しかし、予想とはまったく反対の方向に株価が動いた場合、ヘッジファンドはミューチュアル・ファンドよりも大きな損失を出すことになる。

メディアの注目を集め、「国際的な投機筋」というイメージが定着

ファンダメンタルズの予測が大当たりした例は、ジョージ・ソロスが1992年に英国中央銀行を相手にポンドを売り浴びせした有名なケースだ。ソロスはフィナンシャル・タイムズ紙にこの件でインタビューをうけ、国際通貨市場で不均衡のモメンタムを認識するや否や一気にロングとショートを仕掛けたこと、しかも数十億ドルという大きな儲けとそのトレーディングについて自ら語った。こうした投資手法はグローバル・マクロと呼ばれ、その後ヘッジファンドの代表的な投資スタイルとして取り上げられるようになった。

 

ソロスのインタビューは、またメディアが、ヘッジファンドを「国際的な投機筋」というイメージで取り上げるきっかけとなった。ソロスのようなグローバル・マクロは、短期的に市場のボラティリティーを高め、マーケット全体に大きな影響を与える。そのため、金融政策を司る各国の中央銀行はグローバル・マクロのヘッジファンドの動向には神経を尖らせる。ソロスのような大手ヘッジファンドは、1992年以来メディアの注目を集め、1997年のアジア通貨危機にさいしては、マハティール首相が名指しで批判するほど「国際金融の悪玉」と見なされた。

 

グローバル・マクロとは異なるが、ディレクショナル・スタイルとして「ディストレスト(distressed)」がある。文字通りすでに破綻した証券に投資するのだが、困難な状況に直面した証券の価値が落ちるところまで落ちた底値で買い入れ、その後は回復するという予測のもとに投資を行うものだ。典型的なのは、会社更生法を適用した企業の社債(いわゆるジャンク債)への投資である。ジャンク債とは信用力の低い社債で、BB以下の低い格付けである。ジャンク債の発行企業が、本業の失敗ではない要因、例えば係争に巻き込まれて会社更生法が適用された場合、係争が解決すればジャンク債の価値は上がる。こうした一時的な特殊事態のために著しく価値の下がった債券を仕入れ、回復局面で大きく儲けるのがディストレスト・スタイルである。

 

会社更生法適用を受けた企業の資産はいったん管財人の下で管理される。債権者には弁済の優先順位が決められているが、企業側との交渉によっては債権者側に有利な措置がとられる可能性もある。債権者を代表してリーダーシップを取るディストレスト・ヘッジファンドもある。その実例を次に挙げよう。

 

次回

3.金融危機に乗じるハゲタカ・ファンドの役割 (日曜1時更新予定)

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