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国際金融アナリストの大井幸子が、金融・経済情報の配信、ヘッジファンド投資手法の解説をしていきます。

運用額200兆円! 栄枯盛衰のヘッジファンド その歴史と運用手法を知る

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「適格投資家」のみを対象とした私募投資としてのヘッジファンドの黎明期から機関投資家化を経て現在の多様化へいたるヘッジファンドの歴史を解説。

 

ベルリンの壁が崩壊した1989年からリーマンショック直前の2007年まで、私はウォール街で働き、幸運にもヘッジファンドの隆盛の現場に居合わせた。その歴史と運用手法の進化を概観したい。

 

 

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1.ヘッジファンド誕生

ヘッジファンド第一号は、1949年にアルフレッド・ジョーンズが始めた株式ファンドだといわれている。ジョーンズは下げ相場で空売りを仕掛け、また特定の銘柄にレバレッジ(少額の資金を担保にして大きな取引を行う投資手法)を用いてリターンを高めたといわれる。

彼の成功は1966年のフォーチュン誌が報じて初めて世間の知るところとなった。

 

2.黎明期 「リミテッド・パートナーシップ制度(LPS)」の登場

米国株式市場は1969年から74年まではオイルショックで下げ、10年近く厳しい時代となった。しかし、この時期、ヘッジファンドを含むオルタナティブ投資の根幹を支える「リミテッド・パートナーシップ制度(LPS)」が導入され、リスクマネーの自由な投資を促す私募金融市場が確立した。

 

LPS投資は、リスクの高い油田や天然ガスなどへの投資を含むDirect Participation Program (DPP)の一環であり、優遇税制のメリットがある。LPSは、株式や投資信託のような公募投資の枠組とは異なり、「適格投資家」のみを対象とする。ヘッジファンドもLPS投資の一部であり、LPS投資家限定の「知る人ぞ知る」内輪の世界だった。

 

具体的には、ヘッジファンドは、年金基金、大学基金や財団、ファミリー・オフィスなど長期に持続することを目的とした組織のための運用手段として重宝されてきた。ヘッジファンドは一般の相場動向と相関性が低く、長期にわたり「絶対値の収益」をもたらすからだ。

 

3.通貨危機とヘッジファンド

George Soros
ジョージ・ソロス By Norway UN (New York) 

 

1980年代半ばころからレーガン大統領の規制緩和策が功を奏し、長い不況が終わりウォール街は活況に沸いた。M&AやLBO、ハイイールド債など新しい金融技術が発展していった。

 

当時、ジュリアン・ロバートソンのタイガー・ファンドが優れた実績を上げ、投資銀行においてパートナーたちが自己資金を投資するプロップデスクで優秀なトレーダーたちが、ペアトレーディングやアービトラージ、オプションを駆使した様々なヘッジ手法を確立していった。

 

特に目立ったのは、1992年の欧州通貨危機、1997年のアジア通貨危機で、ヘッジファンドが調達コストの低い通貨で借入れ、高利回りの通貨に投資するキャリートレードを実施したことだ。二つの通貨危機で、ソロスは一躍「国際金融市場を操るヘッジファンド」として世界のヘッドラインを飾った。

 

確かに、ヘッジファンドのマーケットでの素早い動きは、不均衡を顕著化させ、短期的にボラティリティーを高める。危機に乗じてソロスが巨額の投資収益を上げたのとは反対に、1998年のロシア危機でロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)は破たんの淵に突き落とされた。

 

LTCMはノーベル経済学者もパートナーに抱える大手一流のヘッジファンドだった。しかし、危機の売り浴びせで、レバレッジの分、損失が拡大した。ヘッジファンド運用のモニタリング、リスク管理強化、厳しい規制まで検討された。

 

概ね、1980年代半ばから90年代に、ヘッジファンド業界は急拡大した。ソロスのようなマクロ戦略よりも転換社債裁定取引などストレートなアービトラージが主流だった。投資銀行から独立したトレーダーたちから、ハイブリッジやチューダーのようにトップに上り詰めるスターが登場した。

 

4.機関投資家化とグローバル化

2000年のITバブル崩壊、2001年の世界同時多発テロ、2002年のエンロン・ワールドコム会計不正疑惑で、米国市場は3年間下げ続けた。この「魔の3年」で年金基金をはじめとする大手機関投資家は運用難に苦しんだ。そこで、1998年ロシア危機以来、やや下火になっていたヘッジファンドが、下げ相場にも「絶対値の収益」を確保できる投資手段として再び注目されるようになった。

 

米国では1979年から年金基金がLPSへの投資に参入できる基盤ができていた。2003年以降、公的年金をはじめとする大手機関投資家の大量の投資資金を運用するファンド・オブ・ヘッジファンドが整備され、機関投資家化の流れが一気に進んだ。

 

さらに、2000年以降、IT革命の成果は世界に広がり、米国が世界経済の計引力となり、世界的好景気が実現した。BRICs(インド、中国、ロシア、ブラジル)といわれる新興諸国も好況の利益に乗り、グローバル化の流れが加速した。ヘッジファンドも新興市場に投資し、高い収益を上げた。

 

2003年から4年間続いた強気相場と過剰信用のおかげで、多くのヘッジファンドがレバレッジをかけ、収益を上げ、運用額を膨らませた。しかし、2008年9月のリーマンショックで8割以上のヘッジファンドが損失を出し、淘汰の大波が業界を襲った。

 

 

5.多様化の時代

 

リーマンショックから五年近くたち、ヘッジファンド業界の資産残高もリーマンショック以前を上回るほど回復した。幾度もの危機を生き延びてきたファンドはますます多くの資金を集め、不動の地位を築いている。

 

ヘッジファンド業界は、新興国の資本市場が充実するにつれ、プレイヤーの多様化、農地や森林といった実体資産を扱う運用の多極化、また、IT技術の進化で千分の一秒もの高速トレーディングが可能になるなど、多くの進化がみられる。

 

さらに、UCITといったヘッジファンドのインデックス商品も一般的になっている。インデックスはいわば疑似商品だが、似たようなリターンをより安いコストで提供できるし、流動性も高い。個人投資家にとってヘッジファンドの敷居が低くなってきている。

 

現在、ヘッジファンド全体の資産運用額は2兆㌦、30万人が働く業界といわれる。ヘッジファンドは「絶対値の収益」を運用者と投資家が分かち合う共同事業としての投資運用業であり、新陳代謝を常に繰り返すダイナミックな業界である。

 

 

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